習慣ができたら

こんにちは
セルフケアサポート長塚です

時間をまたぐと
何を書きたかったのか
わからなくなってしまい
書きかけのブログが
たまってしまいました

頭に浮かんだことの
自動筆記が
できるようになったら
いいのにと
思ったりしながら
過ごしておりましたが
書きかけは
潔く破棄することにします

しかし
こころの中では
みなさんと
たくさんお話ししている
長塚です

さて
先日のブログで
私が就職して
初めて見た世界
を書いてみました
http://www.selfcare-s.com/なんじゃコレ!をみたら/

理想とはかけ離れた
なんじゃコレ
という世界でした

新薬の研究開発に
携わりたいと
垣間見させてもらった世界は
純粋な研究者には
過酷な世界にみえました

(不純粋なワタシは
さっさと逃げ出した
わけですけれども、、)

社会性もなく
経営能力もない
その道だけの天才が
いたとしても
社会のなかに
天与の才を育てる土壌は
今さらに
減ってきていると
思います

そして
家庭内ですらも
天才を育てる土壌は
実のところ減っているのかと
自分の子育てを見ながら
いつも省みています

それは
特性(天から受けた才能)
を持った者を
どこまで信じきれるか
というところで、
育てる側の利己的な面が
むくむくと湧いてきて
その特性を殺してしまい
あるいは
天与の才の使い方を
誤ってしまうことが
あるということです

ネガティブなものの
補正のために設けたはずの
ボーダーラインが
むしろ
ポジティブの切り捨てに
働いていることに気づいたなら
システムとしての線引きに
頼ることから卒業する時に
入ってきているのでは
ないでしょうか

これまで用いてきた
線引はAIが代わりを
担い始めていますので
卒業は否応なしに
させられるのですが、、

システムとしての線引をうまく
活用できなかったのに
そのままの状態で
AIに頼るようになれば
それがどのような結果を
導いていくかは自明です

本当の意味での
線引からの卒業を
時流に合わせて
急ぎたいところです


さてさて
メールマガジンを
配信し始めて
3年が過ぎようと
しています

メールを受け取り続けて
くださっている皆様には
(メールが届かなくとも)
いつも感謝の気持ちで
会話をさせて
いただいております
ありがとうございます

当初から
お伝えし続けていた
自分を信じ治す時期も
次のステージに
移行している気が
しています

自分を取り戻した方
もしくは
自分を取り戻すための
習慣ができ始めている方は

見えている世界を
今度は目を開いて直視して
自分を信じ続けながら
動くことが
求められていると思います

動くときには
人頼みのように
神に頼むのではなく

邪なこころが
自分の中に
わ・か・な・い
ように神に頼み
わいているならば
祓いたいんだと宣言して
インスピレーションを
いただくと
非常に力になります

そして
インスピレーションを受けたら
それを実行します

神社へこころを合わせに
行く場合には
ご祭神の特性を知って
参拝されると良いと思います

神社で神官に
お取り次ぎいただくのも
自分の邪な心を
挟ませない良い方法です

そんなお話もしながら
7/1(日)
北海道神宮境内林ツアー
開催いたします
http://www.selfcare-s.com/神宮境内林散策ツアー-3/
正式参拝までのご参加でも
構いません
よろしければご利用ください

それでは
良い1週間をお過ごしください♪

 

神宮境内林散策ツアー

7/1(日)
「北海道神宮境内林
散策ツアーのご案内」
北海道神宮の職員として
「神宮の森の番人」
を勤めておられる
中川氏による
北海道神宮境内林
散策ツアーを開催いたします
 
昨年2度行いました
境内林散策ツアーのなかで
円山原生林にも植樹が入っている
というお話を伺いました
また、境内林がどのように
運用されたのかその歴史を
お聞きすることもできました
 
単一植林という
モノカルチャーに因って
引き起こされる様々な問題は
今私たちが直面している
社会問題を解決に導いてくれる
姿なのかもしれません

 
普段目に留めることもない植物でも
住む場所によって、
その年の気候によって、
同じ種でも実は
生き方を変えています
もちろん種が違えば
繁栄の仕方は
大きく異なっているわけです
 
そのような植物の植生は
自然物である我々の
生き方、養生にも通じるところです
 
植物の個性を肌で感じ
自然の叡智に触れる1日を
過ごしてみませんか?

 
 
今回の境内林散策ツアー
6月晦日の大祓式翌日ともあり
いつにも増して
清々しい朝となることでしょう
 
円山まで行く場合にも
ふもとまでの散策になりますので
足腰に自信のない方にも
お気軽にご参加いただける
内容となっております
 
当日は
神宮駐車場に併設している
「白鹿食堂」さんにて
祝詞「大祓詞」を予習してから
北海道神宮へ
神恩感謝正式参拝をいたしまして
参加者全員で大祓詞奏上後
ツアースタートとなります
 
大祓詞は
JAXAでも宇宙からの奏上計画が
持ち上がっているくらい
重要な祝詞です
その内容を理解し
そしてご自分の日常に
落とし込む機会になればと思います
 
また
神様にお取り次ぎいただく昇殿参拝は
大切な神事です
人生の節目、または行事の折にしか
神前における祈りを捧げる機会を
設けておられない方には、
この機会に
正式参拝を主目的としての
ツアー参加もオススメいたします
 
2018年7月1日
北海道神宮正式参拝
&神宮境内林散策ツアー 開催

イベント詳細は
↓こちらでご確認ください

散策ツアー (夏)

診断名をもとめることの弊害

なんか調子が悪い
といって

病院に行って
診断名をつけてもらい
安心する人がいます

あなたは病人ですよ
と言われて
安心するのです

よく考えてみたら
変ですね

調子が悪い自分
本当の状態じゃない自分
であることを
他の人にも
認めて欲しいのです

こういう状態の時
その方はまだ
治ることを望んでいません

まずそのままの自分を
認めて欲しい状態にあります

「病人であること

「自分を認めてもらえること」

になってしまうと
病気からは抜け出し
づらくなります

これは診断名がつく弊害
のひとつです

このような場合
自分自身がご自分を
認めていないことに
気づくことが
最優先になります


保険診療では
診断名がつかないと
保険請求ができないので
受診すれば
なんらかの
診断名をつけます

医師が
「大したことない」
といっているのに

「あなたは○○です」と
診断名をつけられた
瞬間からズドーンと
病人になりきってしまう
人がいます

医者という大権威に
大きな暗示を
かけられたかのようです

こうなると
“引き寄せの病気”に
かかることができます

こちらは
ショックから立ち直れば
自分の治る力が
湧いてきます

 

 

おみくじを引いて
「凶」をひくと
その日から
運が悪くなったように
感じる方は

病院に行かない方が
よっぽど早く
治るかもしれません

病院ではまず
診断名が付けられるのが
当たり前だと知っておくと
良いと思います
selfcareSupport 長塚

大きく言ってみる

今回企画しました
Comfort yoga circle

目標は
「保険診療に
スピリチュアルケアが
算定できるようになること」

大きくでましたが 😀

達成されるとこまで
生きているうちに
見れなくとも

なんらかの足がかりの
一端を担えれば
いいなと思い
やっています

伝統医療、代替相補医療
といわれる分野
のやっていることは

ツール
テクニーク
メソッド
は違えども
波動調整という
共通のこと
だと思います

波動については
測定器で状態を測る
こともできるようにも
なっていて

その場で
その時の乱れを調整できる
ようにもなっていますけれど

自らの乱れを
自らがつくり続けることを
治めなければ

伝統医療、代替相補医療
といわれる分野も
対症療法にしか
ならないことが
はっきりしてくるのでは
ないでしょうか

同じ様に
考えていくなら
対症療法だといわれる
西洋医学的なアプローチにも
スピリチュアルケアを
組み込めば
対症療法にとどまらない
医療になってくる
と思います

でも
もっと言うなら

たとえ肉体が
健常な状態でなくても
スピリチュアルケアが
できてしまえば

人にとっての
最上の状態まで
もっていけるのだと
思っています
selfcareSupport 長塚

場を変える

前のブログ
「なんじゃコレ!」
と思った世界から
見切りをつけて飛び出した
というお話しを
しましたが

こころを保つ
自信のない人にとって
場を変えることは
効果的です

エネルギーフィールドの
影響はみえなくても
物理的にあるからです

これまでも
書いていますが

私は学生の間
「社会」
という教科を
頭が拒絶して
体は蕁麻疹を出してまで
拒否したので

社会の仕組みと歴史を
知るための学びを
全放棄して
暗記の力で
受験を乗り越えました 😛

ですので
全く無知な状態で
感覚だけで
匂いのする方へ
向かってここまできました

でも
「それが良かった」
と、いわれます

感覚的に
おかしいと感じる場で
自分が保てないと
思うのであれば

退避は
全然悪いことでも
恥ずかしいことでも
ありません

自分の鼻を
信じていいのです

「古事記」
の中に
伊邪那岐命が
自ら黄泉の国に行き
自分の異心をみて
逃げかえってきた
という話があります
(黄泉かえる=蘇る)

本当の自分に
逃げかえれば
いいのです

そして
自分のうちに
揺らぐことのない
柱を立てて
力をつければ
良いと思います

あのときの自分に
偉かったと
ワタシが思えるのは

とても良いお給料
だったのにもかかわらず
(お金の)先のことを
何も考えずに
場を見切れたこと
だと思います 😀
selfcareSupport 長塚

靴のぬぎはき

我が家でのこと

kutsu_nugu_bad

子供が靴を脱ぎっぱなしで
家にあがったので

「靴が揃ってないよ」

というと

「揃える必要はあるのかな」
「自由でいいんじゃない?」

という

なにか
自分の楽なことを
自由と錯誤しているようだ

「次に履く時に
履きやすいように」
と靴を揃えるこころ

そういう
思いやりのこころを
持った生活をしたいか
どうか

自分だけなら
いいじゃないか
と乱すうちに

そのこころが
養われるチャンスを
逃すことになること

マナーは
そんな風に出来上がって
きているのだから
習慣を軽んじて欲しくない

と話しました


kutsu_nugu_good
「外ではできているから」

と話す子供に

それなら
尚のことと

自分に対して
思いやりのこころを
持つことが
できないのに

外でできるという
道理はない
とはなします

外で
マナーを
知っている人然として
と靴を揃えても

それは
パフォーマンスとして
わざわざやっている
ということに
なってしまうし

人の靴を揃える時には
やってあげているという
偽善になって
しまうでしょう
shoes_03

でも何より
愕然と思うことは

これまで育ててきた中で
自然とそのことが
身についていない
子供の姿に

靴の脱ぎ履きは
出来ていたとしても、
同様の有様を
自分の内にみてしまう
ということです
selfcareSupport 長塚

なんじゃコレ!をみたら

前回のブログ
統合医療に向けて
の中で

自我の要求を
果たすために選んだ世界は
自我で運営される世界を
みせてきました
と書きました

なんじゃコレ!

と思わせる
私の垣間見た
アカデミックな世界

それは
研究費を
得るための研究を
毎年重ねている
実情でした

私は助教授に
「なんで重箱の
隅をつつくような研究
ばかりするのですか?」

今思えば随分と
酷いことを素面で
言いました

チャレンジも
フィロソフィーもない
必ず論文になる
目星のついたテーマの研究を
海外の似たような思考の
研究者と投稿の
スピードを競いながら
繰り返すように
行っていたことについて
言ったのですが

そんな私の不敬な
言動に対して

助教授が
「重箱の隅をつつくことは
いけないことですかね」
と、
怒ることもなく
笑いながら平然と
返答されました

そのことが
ショックで
私は研究室を去ることを
実は決意したのでした

こんなエピソードも
あります

ある大手企業が
共同研究を申し入れて
きたのに
それを断った助教授に
「なんで断っちゃうんだ」
と、酔って絡んだことが
あるそうです
(↑全然覚えていない)

ちなみに
人生で記憶をなくす
飲み方をしたのは
3回だけです(多すぎか)

翌日
「すごかったよ」
と、助教授にも
助手の先生にも
言われたのですが

「大変だから」
というような趣旨で
共同研究を
お断りしたことについて
やりたい研究ができる
チャンスなのに
断るなんてと
その表面だけを捉えて
絡んだようでした

今思うと
下手に利害関係を結んで
不本意な研究をすることに
なって忙しくなるより
目先のお金にとらわれなかった
助教授の判断は
尊かったのだろうと
思います

アカデミックの世界を
離れたことについては
本当に無知な子供が
言いたいこと言って
出て行っちゃった
という感じで
無責任を極めていますが
(親のこころ子知らず)

その場を離れることで
私は次の場である
医療の現場を
見ることができました

わがままな私を
入る時も出る時も
温かく見守って
くれた研究室自体には
感謝の気持ちで
いっぱいなのです


その後
国立大学が法人化される
という事態をみて
本命のメインの研究を
行える研究室が
少なくなっているのは
日本全体の問題になって
いるのだろうなと
なんとなく感じました

しかしそれが
本当に直面している
大きな問題なんだな
と改めて思わされたのは

大隅良典博士が
ノーベル賞を
受賞されたときの
インタビューです

ここに
自分のエピソードと
並列するように
書かせていただくのは
憚るべきところですが
無知を盾に
遠慮せず書かせて
いただきます

インタビューの中で
大隅博士は
学術界の危うい現況を
端的なお言葉で
コメントされておられました

受賞時のコメントを
探して貼っておこうかと
思ったのですが
博士のその続きの言葉を
見つけましたので
ご紹介します

こちらは
日刊工業新聞の記事
ですが
博士の言葉に
「生物学が医学に
従属してしまった。
医学に役に立たない
生物学は存在しない
ことになっている」
とあります

すぐにデータ化、商品化
されないものは
テーマとして
あげられないので、
真理の解明のための科学は
すぐに見えるものしか
真理でないかのように
なっているということ
ではないでしょうか

それが顕著にでてくるのは
医薬業界になってしまう
というのは
もう、最初から
決まっていることに
なります

学術の世界が
目先の論文の数や
研究内容の
見栄えや過大主張に
偏重していったことは

科学を支える側
支えられる側の両者で
作り上げたものでも
あります

目先に見える
表面だけを
重視するあり方は
今、ものすごく
蔓延しています

我が子に対してすら
そのように臨む親が
多くなってしまったのでは
ないでしょうか

先に引用いたしました
日刊工業新聞の記事の中に
『役に立つ』ことを
求められてきた弊害が
現れている
とあります

その
表面だけを
重視するあり方

根っこのないものを
一生懸命つくっている
あり方を

追い求めるように
なった下地
どこでできたか、
皆で考えてみなければ
なりません


 

本来望んでいる姿との
隔たりが
社会現象としてあちこちに
見られるようになっている今

仕方ないと
目をつぶって
結果として仕組みつくりを
共にしてきたことを
認め

なんじゃコレと
見えた世界を
目を開いて直視して
動くことが
求められていると思います

この隔たりを補正するよう
動かなければ
その補正の結果が出てくる前に
子供たち、孫たちの代は
倒れてしまう可能性のある
ギリギリのところに
あるかもしれません

現に今は
ギリギリのところにある
といいますより
若者の死亡原因が
「自殺」という現状は
ただならぬ状態にあります

下地
たとえ組織に所属していても
個々の者が
集まりつくっています

ひとりひとりが
根をはるしかありません


大隅博士は
啓発とその実行として
財団をつくられておいでです
大隅基礎科学創成財団

製薬メーカーが
こころから賛助するような
時代に変遷することを
願うばかりです

個人でも賛助が可能です

自分に対する
意志表明として
未来へ投資されるのも
良いのではないかと
おもいます

これも「祈り」の
ひとつのかたちです
selfcareSupport 長塚

統合医療に向けて

私は
統合医療研究会
というものに
参加しているのですが

そこでは
伝統医療・相補代替医療
といわれる分野の
先生方が集まり
各分野の実践に即した
理念の共有に勤しんでいます

とても意義のあること
だと思い
そのような研究会が
運営されていることを
知った時には
とても感動しました


私は大学を卒業して
はじめて社会に出た時
アカデミックな世界で
働き始めました

前にも吐露していると
思いますが
社会と隔絶されて
人を相手にせず
黙々とモノを相手に
研究だけできればいいな
という思いが
あったのです

しかし
そんな自我の要求を
果たすために選んだ世界は
自我で運営される世界を
みせてきました

なんじゃコレ!

若く無知な私は
こんなところ
長居している場合じゃない
人を相手にしなければ
何も見えてこないだろうと
大柄にも見切りをつけて
辞めた経緯があります

私もその時点で
アカデミックな世界の
真理とのズレを放置し
逃げたことで
ズレを一緒につくっていたと
いうことでもあります

しかし
1点の非でもって
9点の是を否定する
私の姿勢を改め

見切りをつけた世界が
どのように良くなればいいかと
思考を巡らせるようになると

冒頭でお話ししました
研究会を運営され
頑張っておられる先生方と
出会うことになりました

今回
その稀有な研究会で
出会った先生と
イベントを開催することに
いたしました
comfort yoga circle

出来るだけ分かりやすい
かたちでお伝えできるよう
実践を中心に
プログラムしております

名前を
「comfort yoga circle」
と、サークルとしたのは
医療・健康に携わる方々が
自己や組織の主張を超えて
共有する理念のもとに
輪となることが出来たらとの
思いを込めています

案内には
「医療従事者」と
しておりますが
今の日本の医療問題に
直面している当事者は
国民皆保険制度をもつ
国民一人一人なのだと
思います

ご興味を持たれましたら
どなた様でも
ご参加いただけます
よろしくお願いいたします
selfcareSupport 長塚

Comfort yoga circle

医療とは何か
健康とは何か

頭で考えることを超えて
感じ学び合う
ヨーガによる実践ワークの
お知らせです

頭のはたらかない時間帯に
行うセミナーですので
頭を使わず
感性をはたらかせ
ゆったりとご参加ください

前半は伝統医学に基づいた
医療の根底にある理念を共有し
後半にボディワークを行います

ねむくても大丈夫!
心で感じ体で感じることを
優先させて身におとしていきます

どうして今
目の前の大切な人が苦しい思いを
しているのだろうか?

それに対してどのように
向き合っていけばいいのか?
そのようなことが
自らの癒しによって
解決していく仕組みを
ご一緒に理解していきましょう

痛みをもって
苦痛をもって
大切な方が何を訴えているのかを
真に捉えるためには
医療従事者自身が
痛みを乗り越えると
大切な人の姿がみえてきます

comyoga入稿

伝統医学の大切にしているコアな部分を
実践を通して感じ
その実践方法を
ご自分のものにしていただける
静かな夜の2時間です。

comyoga入稿

お申し込みは
お手数ですが
イベント予約より
お願いいたします