黄帝内経 素問 上古天真論篇(4)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)
黄帝内経 素問 上古天真論篇(3)
に続いて、

女子は7歳、14歳、21歳、、と
7の倍数で肉体が変化していくことが
書かれており

男子は8歳、16歳、24歳、、と
8の倍数で肉体が変化していくことが
書かれているが
さらに、

此其天寿過度、
気脈常通、
而腎気有余也。
此雖有子、
男不過尽八八、
女不過尽七七、
而天地之精気皆竭矣。

天命が十分で
気脈も通り
先天の精が余りあって
子をつくれるといっても
男子は88を過ぎず
女子は77を過ぎないで
子を産めなくなるのは
天地の精気の運行がつきるからだ

夫道者、
能却老而全形、
身年雖寿、
能生子也。

道に生きる人は
肉体は老いることなく
高齢になっても
子を産むことができます

とあり、びっくりします

道に生きるということは
天地の精気が満ち溢れる
というわけです
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇(3)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)
さらに続きます

是以志閑而小欲、
心安而不懼。

このため人々は
あることを意図しこころを向けるにも
ゆったりと落ち着いており
欲望は少なく
こころは安らかで
おそれることはありませんでした

形労而不倦、
気従以順。

肉体を働かせても
倦みあきて嫌になることは無く
正気は治まり
正しい方向に流れました

各従其欲、
皆願所願。

それぞれの欲は少なく
望むところは皆満たされ

故美其食、

食べたものを美味しく思い

任其服、

得られた服を心地よく思い

楽其俗、

その境遇に満足して楽しく暮らし

高下不相慕。

地位の高低を羨むこと無く

其民故日朴。

人々はいたって素朴で誠実でした

是以嗜欲不能労其目。
淫邪不能惑其心。

正しくない嗜好も
彼らの耳目をゆりうごかさず
淫な邪説も
彼らの心情を
惑わすことはなかったのです

愚智賢不肖不懼於物。

愚かな者も、知恵のある者も、
賢い者も、未熟な者も、
何事に対してもおそれることは
ありませんでした

故合於道。
所以能年皆度百歳、
而動作不衰者、
以其徳全不危也。

上古の人々が
修養の道に合致していたことが
お分かりでしょう
ですから皆、百歳を超え
しかも
動作に衰えることはなかったのです
その修養のあり方を心得、
全うすることで、
肉体もそれに従って
病の危害を招かずにすむのです

つくづく、これがシンプルかつ重要な
“健康法”なのだと思う
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)

前回の続き
以下は、修養のあり方が
書かれた節

夫上古聖人之教下也、

上古の修養の道理を深く理解した人は
人々を教え導くのに
常にこのように述べました

皆謂之虚邪賊風、
避之有時。

外界の虚邪賊風に注意して、回避すべき時に回避する

恬憺虚無、

こころ静かに安らかにし
貪り求めたり、邪な考えを持たず
物の得失でこころを煩わせること無ければ

真気従之、

真気はおのずと調和し

精神内守、

精神もまた内を守って
すりへり散じることはない

病安従来。

そうすれば
病を起こす邪気が侵入することが
あろうか

非常に純粋でシンプルな法則です
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇

上古の人は皆百歳を過ぎても生き、
行動は衰えなかったと聞いている。
ところが現代の者を見ると、
五十歳程度で、動作が衰えてしまう
これは時代によって
天地の及ぼす影響に違いがあって、
寿命に差ができたのだろうか。
それとも、人が養生の道を
はずれているためだろうか?

これは東洋医学の古典
黄帝内経に書かれている一節である

近い過去と比較してみれば
現代人は
まるで寿命が延びたかのように
思うが、
上古と比べてみると
健康寿命は短くなっている

次は修養のあり方が
書かれた節を紹介したい
selfcareSupport 長塚