祈りのチカラ

この度の地震では
たくさんの想いを寄せていただき
ありがとうございました

とても励みになり
チカラをいただいておりました
こころより感謝申し上げます


復旧見込みが
定まらない停電の中で
経験するこころの変移は
想い(祈り)のチカラを
実感する時間でも
ありました

実は

祈りのチカラ、
医療の分野でみると
心疾患者の治療において
「祈り」に
有意差が認められたという
研究報告があったりします

国内では
祈りのチカラを軽視できない
と考える先生方が
治療として「祈り」を本気で
取り入れるクリニックを
開設されるまでに至っています

「空海記念統合医療クリニック」
お茶の水博士の
モデルの一人とされる
東大名誉教授の医学博士
が発起人

日本で癌専門病院といえば
癌研か国立がんセンター
といわれていますが
その、癌研の漢方サポート科で
13年勤められてきた先生
が院長

目に見えない
意識のチカラは
計量分析することが
まだできていませんが

本当に
チカラが
在ります

見えないからといって
取るに足らないもの
として扱かっていては
まさに本末転倒です
(意識が現象に対し
先行していると言う
意味において)

良くも悪くも
本当に
想いにはチカラが
ありますので

どうか
軽んじることなく
ご自分のチカラを信じて
キレイなチカラを
発揮していただければと
思います
どうぞ宜しくお願い致します
selfcareSupport 長塚

診断名をもとめることの弊害

なんか調子が悪い
といって

病院に行って
診断名をつけてもらい
安心する人がいます

あなたは病人ですよ
と言われて
安心するのです

よく考えてみたら
変ですね

調子が悪い自分
本当の状態じゃない自分
であることを
他の人にも
認めて欲しいのです

こういう状態の時
その方はまだ
治ることを望んでいません

まずそのままの自分を
認めて欲しい状態にあります

「病人であること

「自分を認めてもらえること」

になってしまうと
病気からは抜け出し
づらくなります

これは診断名がつく弊害
のひとつです

このような場合
自分自身がご自分を
認めていないことに
気づくことが
最優先になります


保険診療では
診断名がつかないと
保険請求ができないので
受診すれば
なんらかの
診断名をつけます

医師が
「大したことない」
といっているのに

「あなたは○○です」と
診断名をつけられた
瞬間からズドーンと
病人になりきってしまう
人がいます

医者という大権威に
大きな暗示を
かけられたかのようです

こうなると
“引き寄せの病気”に
かかることができます

こちらは
ショックから立ち直れば
自分の治る力が
湧いてきます

 

 

おみくじを引いて
「凶」をひくと
その日から
運が悪くなったように
感じる方は

病院に行かない方が
よっぽど早く
治るかもしれません

病院ではまず
診断名が付けられるのが
当たり前だと知っておくと
良いと思います
selfcareSupport 長塚

大きく言ってみる

今回企画しました
Comfort yoga circle

目標は
「保険診療に
スピリチュアルケアが
算定できるようになること」

大きくでましたが 😀

達成されるとこまで
生きているうちに
見れなくとも

なんらかの足がかりの
一端を担えれば
いいなと思い
やっています

伝統医療、代替相補医療
といわれる分野
のやっていることは

ツール
テクニーク
メソッド
は違えども
波動調整という
共通のこと
だと思います

波動については
測定器で状態を測る
こともできるようにも
なっていて

その場で
その時の乱れを調整できる
ようにもなっていますけれど

自らの乱れを
自らがつくり続けることを
治めなければ

伝統医療、代替相補医療
といわれる分野も
対症療法にしか
ならないことが
はっきりしてくるのでは
ないでしょうか

同じ様に
考えていくなら
対症療法だといわれる
西洋医学的なアプローチにも
スピリチュアルケアを
組み込めば
対症療法にとどまらない
医療になってくる
と思います

でも
もっと言うなら

たとえ肉体が
健常な状態でなくても
スピリチュアルケアが
できてしまえば

人にとっての
最上の状態まで
もっていけるのだと
思っています
selfcareSupport 長塚

なんじゃコレ!をみたら

前回のブログ
統合医療に向けて
の中で

自我の要求を
果たすために選んだ世界は
自我で運営される世界を
みせてきました
と書きました

なんじゃコレ!

と思わせる
私の垣間見た
アカデミックな世界

それは
研究費を
得るための研究を
毎年重ねている
実情でした

私は助教授に
「なんで重箱の
隅をつつくような研究
ばかりするのですか?」

今思えば随分と
酷いことを素面で
言いました

チャレンジも
フィロソフィーもない
必ず論文になる
目星のついたテーマの研究を
海外の似たような思考の
研究者と投稿の
スピードを競いながら
繰り返すように
行っていたことについて
言ったのですが

そんな私の不敬な
言動に対して

助教授が
「重箱の隅をつつくことは
いけないことですかね」
と、
怒ることもなく
笑いながら平然と
返答されました

そのことが
ショックで
私は研究室を去ることを
実は決意したのでした

こんなエピソードも
あります

ある大手企業が
共同研究を申し入れて
きたのに
それを断った助教授に
「なんで断っちゃうんだ」
と、酔って絡んだことが
あるそうです
(↑全然覚えていない)

ちなみに
人生で記憶をなくす
飲み方をしたのは
3回だけです(多すぎか)

翌日
「すごかったよ」
と、助教授にも
助手の先生にも
言われたのですが

「大変だから」
というような趣旨で
共同研究を
お断りしたことについて
やりたい研究ができる
チャンスなのに
断るなんてと
その表面だけを捉えて
絡んだようでした

今思うと
下手に利害関係を結んで
不本意な研究をすることに
なって忙しくなるより
目先のお金にとらわれなかった
助教授の判断は
尊かったのだろうと
思います

アカデミックの世界を
離れたことについては
本当に無知な子供が
言いたいこと言って
出て行っちゃった
という感じで
無責任を極めていますが
(親のこころ子知らず)

その場を離れることで
私は次の場である
医療の現場を
見ることができました

わがままな私を
入る時も出る時も
温かく見守って
くれた研究室自体には
感謝の気持ちで
いっぱいなのです


その後
国立大学が法人化される
という事態をみて
本命のメインの研究を
行える研究室が
少なくなっているのは
日本全体の問題になって
いるのだろうなと
なんとなく感じました

しかしそれが
本当に直面している
大きな問題なんだな
と改めて思わされたのは

大隅良典博士が
ノーベル賞を
受賞されたときの
インタビューです

ここに
自分のエピソードと
並列するように
書かせていただくのは
憚るべきところですが
無知を盾に
遠慮せず書かせて
いただきます

インタビューの中で
大隅博士は
学術界の危うい現況を
端的なお言葉で
コメントされておられました

受賞時のコメントを
探して貼っておこうかと
思ったのですが
博士のその続きの言葉を
見つけましたので
ご紹介します

こちらは
日刊工業新聞の記事
ですが
博士の言葉に
「生物学が医学に
従属してしまった。
医学に役に立たない
生物学は存在しない
ことになっている」
とあります

すぐにデータ化、商品化
されないものは
テーマとして
あげられないので、
真理の解明のための科学は
すぐに見えるものしか
真理でないかのように
なっているということ
ではないでしょうか

それが顕著にでてくるのは
医薬業界になってしまう
というのは
もう、最初から
決まっていることに
なります

学術の世界が
目先の論文の数や
研究内容の
見栄えや過大主張に
偏重していったことは

科学を支える側
支えられる側の両者で
作り上げたものでも
あります

目先に見える
表面だけを
重視するあり方は
今、ものすごく
蔓延しています

我が子に対してすら
そのように臨む親が
多くなってしまったのでは
ないでしょうか

先に引用いたしました
日刊工業新聞の記事の中に
『役に立つ』ことを
求められてきた弊害が
現れている
とあります

その
表面だけを
重視するあり方

根っこのないものを
一生懸命つくっている
あり方を

追い求めるように
なった下地
どこでできたか、
皆で考えてみなければ
なりません


 

本来望んでいる姿との
隔たりが
社会現象としてあちこちに
見られるようになっている今

仕方ないと
目をつぶって
結果として仕組みつくりを
共にしてきたことを
認め

なんじゃコレと
見えた世界を
目を開いて直視して
動くことが
求められていると思います

この隔たりを補正するよう
動かなければ
その補正の結果が出てくる前に
子供たち、孫たちの代は
倒れてしまう可能性のある
ギリギリのところに
あるかもしれません

現に今は
ギリギリのところにある
といいますより
若者の死亡原因が
「自殺」という現状は
ただならぬ状態にあります

下地
たとえ組織に所属していても
個々の者が
集まりつくっています

ひとりひとりが
根をはるしかありません


大隅博士は
啓発とその実行として
財団をつくられておいでです
大隅基礎科学創成財団

製薬メーカーが
こころから賛助するような
時代に変遷することを
願うばかりです

個人でも賛助が可能です

自分に対する
意志表明として
未来へ投資されるのも
良いのではないかと
おもいます

これも「祈り」の
ひとつのかたちです
selfcareSupport 長塚

子供の相談

子供にはまず
精一杯生きることを
覚えてもらわないと
いけないと思います

けれども
「平均的な子供像?」
を求めてしまう
学校の姿勢や
世間体の体裁や
親の見栄やら
なんやらで

子供が自ら
一生懸命やっていることに
感情的に釘を刺して
遮ってしまうことが
あります

そういうことが
当たり前と思って
小さい時の子供は
大人の言うことを
聞いていますが

積もり積もって
年頃になると
「なんか違う」
ということが
子供にはばれてきます

「お母さん
本当に自分のことを
愛しているんだろうか..」

すると
その疑問を
確かめるべく
いろんな仕掛けを本気で
してきます

そのとき大人は
自分のためだったのか
子供のためだったのか
確認をして

気持ちは子供のためと
思っていたのに
やっていることや
言っていることが
体裁や見栄のためのもの
だったと
気づいたならば

自分の未熟さを認めて
謝り修正しなければ
ならないと思います

それも本気で
体当たりしなければ
伝わらないことです

体裁や見栄などは
微塵も差し挟まず
捨身で伝えなければ

「やっぱり違うじゃないか」

と、ばれてしまいます


積もり積もって
年頃にり
「なんか違う」
ということが
子供にばれてくるとき

言葉や態度のかわりに
子供の体が反応して
病気として表現することが
あるように感じます

そのような時

自分のために
精一杯生きることを
してこなかった親が
全力で自分を認めることを
することが
子供の病状に
奏功することが
あります

子供が子供のうちは
親の変化が
子供に大きく影響を与えます

自分を認めることができて
はじめて
子供の全てを
認めることができるように
なるからなのでしょう

子供の相談に来たのに
お母さんの相談になるのは
こういうわけなのです

もっとスマートに
お伝えできるよう
精進いたします
selfcareSupport 長塚

こうあるべき

「こうあるべき」
という観念でもって
ことにあたり
似たような観念の世界を
求めてさまよっていると

いつの間にか
居場所がなくなって
地から足が離れて
いくことがあります

「こうあるべき」
なんてものは
自分で作っている
ものなので
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自分を
縛って
固定して
身動きとれなく
なっている
固定観念から
自分を解放していくのが
セルフケアです

自分が
がんじがらめに
なっていることに
気づかないと

知らずのうちに
人にも
求めています

知らずのうちに
自分の観念の世界に
引きずり込もうと
必死になるのですが

それは違うよ
と教えてくれるかのように
「こうあるべき」とは
反対の事象が
どんどん
目の前に現れてきます

そこで
気づけることが
出来ればいいのですが
気づかないでいると

イライラしたり
悲しんでみたり
絶望したりするわけです
五情

居心地の悪い感情は
それは違うよ
のサインです

それでOKの時は
たとえしんどくても
生き生きワクワク
力がみなぎってきます
(神気と共鳴している)

そのサインを無視して
観念の世界を
正当化するために
摂理に逆行すると

体の営みであったり
家庭の営みであったり
会社の営みなどが
機能しなくなってきて
教えてくれます


そのような時は
「こうあるべき」の柵を
一旦、試しに仮ばずし
してみることを
おすすめします

仮だと思えば
できると思います

すると
意識が拡張し
楽になり
自分が解放されるのを
感じるでしょう

ああ
こんな風に
考えられたら楽なのに..
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それを感じるなら
次は
本気で柵の撤去です

柵の発見
及び撤去作業
サポートしています
selfcareSupport 長塚

ミッションを見失った人の病2

「働き方改革」

この改革を
いい迷惑だと
インタビューで答えて
いる方がいました
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働くのが辛い
と考えている人
ばかりでは無い
ということです

働きたくないと
おもいながら
働いて
体調を崩すこともあれば

働きたいのに
働けなくて
体調を崩すこともあります

定年退職後に
体調を崩すケースが
よくみられるのは

これまた
ミッションを
見失ったため

起こる病
といえます

ですので
「定年の延長」
「定年制の廃止」
などは
活用の仕方で
加療にも
なるのではないかなと
おもうところです

 


今ある施策の流れは
労働観の改革
でもあると思います

何のために
働くのか
何のために
生きているのか

国全体で
棚卸しする
時なのでしょう

この改革を
自分のために
活用するのか
それとも
活用せず
さらに自分を
封印するのか

試されます

雇用関係に
あるかたは
雇用主、被雇用者の
それぞれの理念が
改めて
浮き上がってくるので
相互の関係を
確かめるチャンスです

臆することなく
自信を持って
自分で
確かな選択を
していきましょう
selfcareSupport 長塚

ミッションを見失った人の病

「プレミアムフライデー」

辛い仕事は
早く切り上げて
外で消費活動をして
憂さ晴らししなさい

消費活動をすることが
=豊かさ
という観念からは
多くの人が
もう卒業しているのでは
ないでしょうか

キャンペーンが
盛り上がっていないことに
時代の変移を感じます


では

仕事は辛い。

働くのは嫌なこと。

生活のためだから
仕方のないこと。

こちらは
どうでしょうか?


と感じるのなら
自分のためにも
出来上がる仕事
のためにも
そこから
離れたほうがいい
お知らせです

自分がいないと
仕事が回らないから
仕方ない
休めない
辞められない
とお考えなら

早急に
仕事を変えるか
休むか
辞めるかすることを
お勧めします

そういった
自己犠牲の想念が
出てきている
ということは
少なくとも気滞が
長く起きていますので
体からお知らせを
いただくことが
多いからです

あなたが抜けたらまずい
仕事は
あなたがいなくなったら
否応にも次の展開が
やってきます

それが
ネガティブなものだとは
限りません

新たな展開が
起きた方が
いい時でも
あったりします

現況に穴をあけること
に関しては
危惧なさらなくて
大丈夫なのです

あなたが
働いていて
こころから
ありがたい
楽しい
嬉しい
仕事でないのなら

双方にとって
創造性の低い
仕事となるのは
摂理として必然です

とは言っても
自分にとっては
この仕事しかないし
辞めるわけには
いかないんだよなぁ

と、
仕事自体の変化を
望まないのであれば

仕方ないと
思っていることについて
本当にそうであるのか
再点検することです

実は
仕方ないことなど
無いもので

それが腑に落ちて
意識づけが変わることで
起きてくる事象は
変わっきます

時間が無いと思っていたのに
余裕が生まれてきたり

やりたい仕事が
回ってくるようになったり

収入が増えてきたり

もちろん
体も変化します

最初は
不思議かもしれませんが
これも摂理です

気血水の滞りを
まず意識づけで
流していくのが
セルフケアサポートの
プログラムになります
selfcareSupport 長塚

格差

先日、
本をいただいて
読んでいたら
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「投薬に思う」
と題したコラムに
このようなことが
書いてありました

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患者さんが
ゴミ箱に薬を
投薬している
(捨てている)
のを知り
正直ホッとしている
という内容でした

1994年に出版
された本ですので
ポリファーマシーの問題は
それほど前から
あったのだなと
改めて感じました


四半世紀も経って
ようやく
ポリファーマシーを
是正するための
ガイドラインが

高齢者対象であるものの
2017年度末を目処に
出されるようです

本の中に
ポリファーマシーの理由は
「ここで言うまい」
とありましたが

今はその理由が
もう無くなったからか
もしくは
その理由を凌ぐ
理由ができたからか

審議がもちあがった
のかもしれません

けれども
ガイドラインにかかわらず
著者の並木正義先生のような
先生は多剤投与を
行わなかった
わけですし

ガイドラインが
先行するような
診療であれば
それこそ
検査データとガイドラインとで
AIがおこなえるような医療に
なってしまうでしょう

 

 
また、
今は患者本位と称して
あらゆる医療の中から
自ら医療を選択しないと
いけなくもなってきています

病と向き合う時

医療として仁術を
提供してくださる先生との
出会いの中で
いのちを生かすのか

ビッグデータとエビデンス
といわれるようなもので
構成される医療を信奉して
肉体を生かすのか

極端な言い方ですが
何を選択するのかで
いのちを生かすのか
肉体を生かすのか
同じことをしたとしても
大きな差が
生まれてくるのでは
ないかと思います

それは
所得格差で生まれてくる差
などではなく
各人の生き方による差に
なるのだと思います
selfcareSupport 長塚

帯状疱疹に対する処方

帯状疱疹のおはなしを
前回しましたが

処方の意は
「出し切ること」
を目標にします

熱をもって
痛みをもって
膿を出そうとしている

排毒作用は
止めてはいけません

なんで発疹するまで
体が追い込まれたのか..

疹を出す力が体にあるのなら
その体の決意を無にせず
やりきったほうが
痛みを残さずに済むと
おもうのです

実際に
予後のご報告を
いただいています例では
疼痛の後遺症は
残っていないご様子です

漢方のサポート力は
偉大です
selfcareSupport 長塚