そもそも薬師は僧侶が行っていた

あらゆる病が
ストレスを起因として
発症していると
ようやく
納得され始めています

しかし病の対処は
まだストレスの対処にまで
至っていません

なぜでしょうか

それは
ストレスは
生活をしていくのに
どうにも対処
しようが無いものと
思い込み
我慢するように
なっているから
かもしれません

実は
ストレスというのは
自分の中で
生み出しているものです

職場が悪い
環境が悪い
運が悪い
何かのせいにしたいかも
しれませんが

それでも
ストレスは
自分で生み出しています

職場も環境も
摂理の運行に逆行するのも
全部自分の意識で
一つ一つ選択していることです

たとえ
どんな職場や環境の中にあっても
意識を変容させていくことで
ストレスと感じないようになりますし
(ストレスを生み出さなくなりますし)

意識を変容させた上で
その場が自分にそぐわない場所ですと
自然と気持ち良く
自分の活躍できるステージが
用意され、そこにシフトすることが
できます


病はそういった意識の働きが
カタチとなって現れてきていることを
知っていたので
薬師は意識の取り扱いを
知っている僧侶が行っていました

ですから
病が現れる前に
意識のケアが
(スピリチュアルケアが)
当然のように行われていた
わけです

もっと言えば
仏教や東洋医学が
日本に入ってくる以前の
上古の時
すなわち
縄文時代以前は
薬師もいらなかったものと
思われます

古典には
「漢方を用意するものの
使わなかった」
と書いています

しかし今は
分離分業が細分化され
それを統括できる
情報を握っているものが
すべてを掌握できる体制が
整えられています

もし
その体制に惑わされず
自分で自分の生を
生きていきたいと
それを選ぶのなら

今、ちょっとだけ
大切な何が欠けているのか
想いを致し、
欠けている何かを足すだけで、
変化が数珠繋ぎに起こることを

ワタシタチは体験して
大切なことを思い出さないと
いけないと思います
selfcareSupport 長塚

気持ちの良い処方箋

最近、気持ちの良い処方箋が
増えてきているのを感じ
嬉しくなることがあります

ワタシが
気持ち良い
と感じるのは

患者さんを
良くしようと
意図を感じる
処方箋です

医師の姿が
目の前に現れてきます

処方箋に
いのちが宿っている
のを感じて
嬉しくなります

一方で
改善の余地はないと
決め付けているのか
良くしようという意図が
全く感じられ無い
死んでいる処方箋があります

そういう処方箋では
たとえ漢方が処方されていても
漢方は職能を果たせません

そもそも
良い変化の兆しが
あったとしても
医師も
罹患者本人も
それをすくい上げて
良い方向に持って行こう
なんて思ってい無いのですから

現状維持が
前提になっている限り
悪くなったのは気付けても
良くなったことには気付けず
薬を飲み続けるしか無いのです


一時しのぎの役目しか
持たない合成薬は
使うと
体に混乱を招いたり
勘違いをさせて
自己治癒力を
結果的に低下させるところがあり
ワタシ自身は
好きではなく
使いませんが

とはいえ
その一時しのぎの薬を
工夫して処方されている
先生にはエールを
送りたいですし、
西洋薬の縛りの中でも
もっといい医療に
なってきそうな
兆しを感じます

日本の医学部の
基本的なカリキュラムでは
そういった西洋薬で
治療することしか
学ばないので
日本のお医者様は
苦労されていると思います

他国のカリキュラムのように
もっと充実した内容になれば
いいのになと思いますが
現状はしばらく
無い時間の中で
自発的に新規のものを
習得するしか無い状況のようです

先生方の頑張りを
信じたいとおもいます
selfcareSupport 長塚

思い出してきたぞ〜

https://news.yahoo.co.jp/feature/760
腎臓が人間の健康を大きく左右する――医療の現場ではそれが新たな常識になりつつある。その役割は、尿をつくるだけにあらず。腎臓こそが臓器同士をつなぐ“人体の要”であり、わたしたちの寿命に直結していることがわかってきたという。

わかってきた
というより

「肝腎要」は
周知でした

五臓
肝腎だけではありませんが..

忘れ去ることで
西洋医療を
信仰することが
できた
といっても
いいのだと思います

「一曰治神」も
同じく
忘れ去ることで
西洋医療に
傾倒できたのでしょう

思い出すべきことが
わかってきたと
言っているだけで
ちょっとも
新しいことはありません

腎は要の臓器だから
急性腎障害に
陥らないように
しないといけないとあり
こう書かれていますが、、、
「急性腎障害の警告が出た場合の対策は、非常にシンプルです」
「まず、患者が脱水状態にならないよう、水分補給や点滴をします。腎臓は脱水状態になるとダメージを受けやすいからです。もう一つが、薬をやめること。腎臓に害を与える薬を、一時的にやめてもらい、まずは腎臓を回復させるのです。こうした対策をすることで、病院では患者の死亡率を減らすことに成功しました」

病気にならないように
薬を飲まないといけない
と思っている人には

病気にならないように
薬を飲まないように
しないといけない
と伝えないと
伝わらないもの
なのかもしれません

薬が無いと
健康を維持できないと
思っているのは
幻想です
selfcareSupport 長塚

癒しのソルフェージュ

ワタシは小さい頃から
いろいろな音が
絶え間無く聞こえていた
というはなしを
先日のブログでしましたが

その音とは、例えば
このような音のことです
934Hz

時によって
周波数が異なったり
何種類かが
同時に聞こえるのですが

必要な音が増幅されて
波動調整するように
なっているのだろうなと
自分の中では解釈しています

癒しのソルフェジオ
といって
波動調整用のアルバムが
あるくらいですし
わざわざそれを
聞く方もいるようですので
害のある音ではない
はずですが
アルバムに入っている音より
天然の音
(自分の中で聞こえている音)
のほうが、断然心地よいです

以前にLED照明のはなし
しましたが
人工的に増幅した波動は
バランスが偏っていることを
知っておいたほうが
良いと思います

認識しているかどうかの
違いはあれ
皆平等に降り注いでいる
波動だと思います

最近は
患者さんの中にも
「最近耳鳴りがするようになって
耳鼻科、脳神経外科に行っても
原因はわからないって言われて、、」
という方がおられます

聞くと「キーン」
という高音域が
ずっと鳴っている
というので、
こういう音が
聞こえる方が
増えてきているのかも
しれません

こういう時いきなり
「波動調整の音が
届いているのですね〜」
なんて言ってしまったら

なんだー
この変な薬剤師はー
となってしまうので
こういう話は
あまりしないでいますが

音がしていても
生活に支障が無いこと
多くの人が認識していない音が
聞こえたところで
それが異常とは限らないことを
ご自身の中で確認していただき
不要な不安を消していただきます
そうすると
不要に服用している薬も
要らないのではないかと
ご自身で思い立たれます

また
音が聞こえて
生活に支障があるという場合
どのように支障があるのかを
詳しく聞いていくと
音に支障があるわけでは
無いことが
見えてきたりします
こういう場合は
別に支障が起きていることを
認識していただき
そちらを対処したことで
音が消えていた
ということもあります

自分の身体に
耳を澄ませておくことは
大切なのですが

変化を
不安や心配に
すぐに結び付けずに
その先まで
身体と会話してみることを
試みてみるところから
始めてみては
いかがでしょうか
selfcareSupport 長塚

良いケアとは

以前にもご紹介したことが
あるかもしれません

良いケアとは
自由な二人の出会いそのものです。

そして、
自由であるためには、
ケアをする人は
自分の怖れを
捨てなければなりません。
〜本文より〜

自分の怖れを捨てる
というのは
本当の自分自身である
ということです

サブタイトルを見ると
認知高齢者ケア
についての本
と受け取られるかもしれませんが
すべてのケアを通して
言えることが書かれています

子供を育てている
親が読んでもいいでしょう

ユマニチュードとは
フランス語で
「人間らしさ」
を意味します

人と人との
関わりがうすれ
人間らしい
本当のコミュニケーション
の仕方がわからなくなった
今にあって、
認知症と言われる
症状が生まれてきている
のではないかと
感じるところです
selfcareSupport 長塚

難聴

ワタシは
小さい頃から
いつも音がきこえていて

それを
認識していると
自覚しないことが
一般的であると知ったのは
小学生の時の
聴力検査の時でした

聴力検査では
「音がしたら
ボタンを押してください」
と言われていたので

人為的に音が出てくる前に
ボタンを押していたため
難聴と診断されました

再検査の時には
「新しく音が出てきた時に
ボタンを押すという
テストなんだな」
と理解したので
そのように振る舞うと
正常と診断されました

なんの
スクリーニングテストなのかを
しっかり理解すると
正常・異常の診断にも
無駄に心を悩ませずに
済むことが増えると思います

そして
正常・異常の基準値に基づいて
処方薬が決められる
診療ガイドラインというものがあり
そうやって薬が処方されている
ということも知っておけば

一方的に診断を受けて
訳も分からず薬を飲む
などということも
防げるのではないかと思います

多勢に加わらないと異常
なんてことは
ないのですから


聴力に関して、、

内耳の前庭が
十分な刺激を受けないと
刺激の不足を補うために
多動性障害(HD)になる
という研究結果が
あるそうです

すべての音に関心を向けている
状態が多動性障害、
一方
すべての音が入ってきて
それを選択除去できないために
すべての音を無視することで
自分を守っているのが
注意欠如障害(AD)と
その研究では評価しています

いろいろな音、
言語もそうだと思いますが
それらがある概念を有すると
聞き分けることが
聴くこと(感じること)

受信して(聞いて)
それを自分の意識に同調させて
聴きとることが難しい
=同調できる音が無い
のであれば

本物の音を探し求めようと
したり(多動)
偽物の音に無関心(不注意)
になるのはごく自然なこと
であると思います

要は音がめちゃくちゃで
「何が本物かわからないぞ!」
といった状態なのだと思います

※音=波動

ご家族が
注意欠如・多動性障害(ADHD)と
診断を受けて
気が楽になったと
お感じになられた方は

ご本人を全身全霊で
認めてあげることが
できないでいたから
病気と診断がつくことで
諦めがついて
気が楽になったのでしょう

病気だと言われれば
認めてあげるための
判断基準が甘くなるということ
なのかもしれません

ご本人を認めてあげられない部分
というのは
認め難いかもしれませんが
実は自分の中にあります

自分の中の
認めてあげられない部分を
スピリチュアルケアすること

それが
ご本人のケアになることを
知ってほしいなと思います

正常・異常の判断基準は
後からみんなで作り上げたものです
selfcareSupport 長塚

電磁波アレルギー(3)

電磁波アレルギー

電磁波アレルギー(2)

の続きになります

電波時計って
ご存知でしょうか

電波を定期的に受信して
時刻のずれを自動補正する
時計のことです

こんな便利な時計が
あるんだ〜
すごい〜
画期的〜
と知った時

そういう電波が
どこの空間にも
常時流れているんだなぁ
と、衝撃を感じました

情報を携えた人工的な波が
常に自分の周りを取り巻いてる
ということを恐ろしく感じ
衝撃を受けたのです

こんな風で
ワタシは電磁波に対して
無防備である状態に
懸念を抱いていました

さて
今回ワタシの発症した
電磁波アレルギーの話に
戻りますが

おそらく
電磁波に対する懸念が
アレルギーに連関したのは
間違いありません

しかし
LED照明に曝露されれば
いつでも症状を起こしたかというと
ワタシの場合そうではなく
特定の場所でのみ起こりました

最初は曝露される時間が
長くなるせいかとも
思ったのですが
そうではなく
どうやら
そこにいるために起こる
ものでした

実はワタシは
昨年よりそこでの仕事には
区切りをつけて
次に進もうと思っていました
なのに今まで
ずるずる、ぐうたらと
していたのです

そのせいで
アレルギーが出ていたんだなぁ
と認め、決意を他言して表明すると
症状は軽減してきました

これは
「病気には2種類ある」の
もう一つの方の要因です

病気を2種類に
分けてお話ししていますが
いずれも結果として
自分が引き寄せていること
がわかります

病気がきっかけで
自分の行動を
変えざるを得なくなっても
それが不幸なことではなく
意外と自分のために
なっています

しんどいこと
苦痛なことが
悪いこと、嫌なこと
と短絡に判断しがちですが
意外にも意味があって
そういうことだったのかと
わかってしまえば
病気もありがたいものです

渦中にいる時は
なかなか
そのように受け止めることが
難しいというのが
これまでの現実だった
かもしれませんが

1度このような視座を持ち
そのような流れを体感しますと
体調を崩されて
我を失いそうになった時にも
落ち着いて内観する余裕が生まれ
対処に幅が出ると
おもいます

しかしながら
ワタシタチには
これまでに培ってきた
固定観念があり
そこを払拭することが難しい
頑固な面があります

そんな頑固な観念をリセットし
病気からのメッセージを
ひろうお手伝いが
セルフケアサポートになります

そういうアプローチの
仕方があるのだと
知っていただければ

何でもかんでも
薬で症状を抑え込もうとは
思わなくなるでしょう

ぜひ
薬・医療機関に依存して
自分をどうにかしようと
思っておられる方には
本来の自分に出会うことで
元気を取り戻せることを
知ってほしいなと
思っています
selfcareSupport 長塚

電磁波アレルギー(2)

電磁波アレルギー
(続き)

自分がこういうことで
アレルギーを起こして

「こういうことって
あるんだな〜」って
身体の辛さとは
別のところで
驚いちゃいました

いやはや
いろいろなことが
起こるものです

ですが
こんな事態になるにも
相談できる人が現れてから
起きていた
というのが不思議なものです

今年の春に
子供の通う学校へ
赴任してこられた先生が
電磁波アレルギーを
もっているのだと
なんとなく
子供のはなしで
聞いていました

それを思い出し
経験者に聞くのが
一番だと思い
相談したいなぁ
と思っていたら
折良く(?)
三者面談の時期と
重なっていて
面談目的というより
健康相談に学校へ
行くことができました

その先生の場合
アナフィラキシー様の
ショック状態まで
経験されていたので
非常に有用な対策を細かく
教えていただいたのですが

要約すると
でんきタイプのアレルギー
ですから
衣服や保湿で
絶縁するように心がけるのが
対処法だとのことでした

しかし何より大切なのは
やっぱり
メンタル・スピリチュアル
ということです


これまで
「病気には2種類ある」
と、お話ししてきましたが
アレルギーは往々にして
自分が引き寄せるほうの
病気であると
見ることができます

アレルギーは体の中で
何が起きているかと言いますと
外来物を排除しようとする機能が
過剰に起きている状態です

それが慢性化すると
アトピーとか
ぜんそくとか
診断名も付いてきます

慢性化というのは
最初は異物を排除しようと
体が反応したものの
敏感に反応しすぎて
しまいには
異物が侵入していないのに
自ら異物を作り出し
それを排除しようと
体の中で
独り相撲をおこなっている
そんな状態です

体がそんな反応を起こしている時
それは実はメンタルでも
そんな活動がおきていることが
ほとんどです

スピリチュアル的にも
外来物を排除しようとする自分に
気づいて、そこを進化させる時
そんなときに
アレルギー症状が出てきている
ように見受けられます

そのような視座を
持っていただくだけで
症状が軽減される

そして
排除しようとしているものを
自分で作り出し
排除しようとしているものが
自分の中の自分にあることが
わかった時に
自然と症状が軽快していくのは
一見不思議なようですが
よく摂理を考えてみますと
当たり前のことなのです

(さらに続く)

電磁波アレルギー

アレルギーには
いろいろありますが

この夏ワタシは
電磁波アレルギー
を実体験しました

蕃秀の夏とはいいますが
何でもかんでも
ひろいすぎ、
かつ過剰増幅してしまい
ひどいもんでした

最初は
「蛍光灯をLEDにしました」
という場所にいただけ
だったのですが

時間が経過するにしたがい
めまいがして
頭痛がして
気持ち悪くなっていきました

FAXが受信される直前には
強烈な頭痛が起きて
意識がとびそうなくらいにも
なりました

LED照明のないところへ
移動しても
頭痛や吐き気は良くならず
照射された日は不眠となりました

そのうちに
不整脈もでるようになり
視野の一部が霞んでみえる
加齢黄斑変性のような
症状が出るようになりと
ものすごいダメージ感で

久しぶりに体調不良を
経験したのですが..

そもそもワタシは
でんきタイプ(ピカチュウ?)で
感情が高まったまま
指をさしたり
電気系のスイッチを触ると
電化製品が壊れることが
たびたびありました

でもそれらは
ワタシからの一方向性
のものだったので
感情を高ぶらせないとか
物や人をポイントしない
などで対処できていたのです

けれど
数年前にラジオ番組を
持たせていただいたことが
ありまして
その頃から身体に
異変を感じるようになりました

一方向性だったものが
双方向性になってしまった
という感覚です

体の反応で言えば
しびれてくる
痛くなってくるのです

その反応は
特にパソコンをいじっていると
顕著になるので
その頃からブログの更新や
FBの投稿も減らしました

そのうちに
その触っている情報の内容で
痛くなるかならないかの違いも
わかるようになってきて
対処もできるように
なっていたのですが

ここにきて
情報のエネルギーが
増幅するという事態!
しかも光線にのって
浴びせられるという
そんなことになったわけです

(続く)

共生の道

前回のブログ
今年の5月に
「風邪くらいで
抗生物質は使うな」
というお達しが
国からでました
と書きましたが

これは
抗生物質に打ち勝つ
耐性菌の出現に
現在の医療が
太刀打ちならなく
なってきて
打ち出された
世界共通の方針です
(日本の初動は
ちょっと遅れ気味ですが)

でも、思います
耐性菌が 出てこないように
というよりも、
菌(感染症)に対して
菌をたたく(抗生物質をつかう)
という医療自体が
そもそも摂理に
かなっていなかったため
方針を変えざる得なかった のだと

例えが飛躍しますが
攻撃をうけて
ダメージを受けたら
害を及ぼす奴を
殺してしまえば
その後の世の中は
平和になってきたか

というのと
同等のことが
体内でも行われている
といえます

菌と戦って
武力で抑えた結果
一時的に平和なように
なるものの
そのうちに
相手も武器を開発して
自分より強くなってきたので
分が悪るそうで
割りが合わないので
撤退しよう
という方針だと思います

菌を攻撃すれば
攻撃してくる菌だけが
死ぬわけではなく
当然のことながら
生体維持に必要な菌も
死にます
その方が よっぽど
体にとっては痛手です

(一般市民が
戦争に巻き込まれ
死傷してしまえば
戦後の復興が
できなくなるような
イメージです)

そのことについては
取り上げられておらず
耐性菌対策としての
方針であるところに
もう一声!
と思うところですが ..

ちゃんと
守るべきとこは
守りを固めて
邪が入り込まないように
しておけばいい
ということです

邪が入ってきたとしても
暴れづらい環境をつくって
おとなしく生活したくなる
ようにすればいい
と思います

それに専念するに限る
ということが
あらゆる事象から
今、学びやすい状況に
あるのではないかと思います

古事記的に表現すると
「底つ石根に
宮柱ふとしり、
高天の原に
氷木たかしりて治す」
です

黄帝内経でいう
「一曰治神」です

守りを固めるのは
肉体だけではありません
むしろ
意識のあり方を
神性に守ることが
何より大事だと
日々感じるところです
selfcareSupport 長塚