平均値・偏差値

ここのところ連日
どなたかと
同じ話になるので

ブログでも
お話ししてみようと
思います

今年の5月に
「風邪くらいで
抗生物質は使うな」
というお達しが
国からでました

それだけで簡単に
コロッと方針が変わる
くらいの医療が
明治以降の日本における
スタンダードな医療です

生活習慣病についても
過去にも基準が
簡単に見直されています
もしかしたら数年後には
「日常的に高血圧なくらいで
血圧降下剤は使うな
緊急時以外の
血圧コントロールは
しないこと〜」
なんていう
お達しが
出るかもしれません
 
実際に
「血圧を下げると
高齢者は痴呆になりやすい」
とおっしゃっている
先生
もいます
当たり前です
老化で筋力が落ちたら
血圧を上げないと
全身に血を巡らすことが
できないのです
それを降圧剤で
下げてしまったら
頭の回転も遅くしなければ
いけなくなるのは
なんていうか…自明です
「管に汚れが付いてきたから
高圧洗浄しろー」
って、いってるのに
圧下げたら
管詰まるの
当たり前じゃないかって
普通の発想ですよね


うまいこと
体は調整してくれているのに
検査値だけで判断して
薬で調整して
標準値に合わせることが

大方の医療になっています
表面を繕って
数値上良さげにみせたところで
体に余計な混乱を
招くだけなのです

 


なぜ体を
信じることが
できないのでしょうか

これはまるで
学校で行われている教育と
同じ構図になっている
と、いつも思います

子供の能力を
検査値だけで判断して
平均値を上回るように努力させ
そうしないと
自分を認めてもらえないと
刷り込みつづけ
偏差値で子供をみて
個人としての資質を
殺しているのと
同じだとおもいます

なぜ子供を
信じることが
できないのでしょうか

 



 

それはやっぱり

摂理を信じられないから
なのだと思います

ひとつひとつの営みが
無駄なく巡行していて
一人一人の存在もまた
いらない存在などなく
尊いものだと

(肉体が)
死ぬときは死ぬし
生かされるときは生かされる
その営みも
無駄なく巡行している
ということ

それが信じられれば
肉体の死を
いたずらに恐れることもなく
ビジネスちっくな医療に
おどらされなくなるんじゃ
ないのかな
と思うわけです

それで
古事記の勉強会
開いたりしています

「?」
とおもいますか?

摂理は日本で「カミ」と
呼ばれています「神」というと
戦後のいたみで
敬遠するようになっている方も
おられるでしょう
(ワタシが何となくそうでした)

もしくは
新興宗教団体がおこす事件や
一神教崇拝者の一部がおこす
暴動のイメージで
避けておいたほうが良さそう
というのもあるかもしれません

でも古来から大切にしてきている
「カミ」は
敬遠したり避けたりするものでは無い
と、はっきり頭の中
整理させちゃったほうが
断然いいとおもいます

「カミ」は自分の中に宿り
自分自身であるので
セルフケアサポートでは
「自分自身でいること」と
表現しています

ですからね

ちゃんとカミさまを
重んじて生活していた
上古の時代は
くすりや検査などなくとも
衰えることなく
100歳越えで
元気でいることが
(元々の気=神気)
当たり前だったと
古典に書いているのですよ

 

逆に言えば
病が起きるのは
「自分自身でいること」
をみつけるための事象だと
診ることができます

 

そういう見方を持つと
解決していくことが
たくさんあります
selfcareSupport 長塚

わざわざ運動するなら

 

 

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セルフケアサポートを
ご利用いただいている方から
「わたしは主人に
『認知症になるから
身体を動かさないとダメよ』
といつも言っていました」
というお話しがありました

何かおかしいと
感じるでしょうか?

認知症になる(恐れ)
に端を発している行動は
皮肉なことに、
恐れが現実になりませんように
と願うたびに
恐れが近寄ってきています

認知症にならないように
認知症にならないように
といって
認知症を引き寄せています

これは単純な波動の共鳴
物理的な法則でしかありません

認知症になる状態を想定して
(願をかけている)
それを打ち消すのでは
遅いのです

想像、想定するということは
思い浮かべてしまっているので
さらに現実化が早まります
(ビジュアライゼーションという
引き寄せのテクニックでもあるわけです)

同じ身体を動かすのなら
「気持ちがいいから
身体を動かす」
「身体を動かしたいから
動かす」
じゃないと、
同じエクササイズの内容でも
結果が異なってきます

あたりまえですね

だからいい指導者は
気持ちいいを誘導したり
楽しいを誘導してくれます

ご自分の行動をうながすときは
自分自身がいい指導者になって
アクションを起こしてみてください
selfcareSupport 長塚

自我をなだめる型

「生まれた時から
自我はあると思いますよ」

タクシーの運転手さんが
幼少期の話をしてくれました

「僕は覚えているんですよ
赤ちゃんの時、おばさんが
クマのぬいぐるみで
いつもあやしてくれるんだけど
それがほっぺたに触って
くすぐったくて
イヤだな〜って思って
だけど、ガマンガマンって
こらえていたんだ」

教科書などでは
自我の芽生えは2才前後
なんて書いてあった
記憶がありますが
それは、
自我を言葉で表現できる
ようになるのが
2才位からなのであって
泣いたり、怒ったり、と
生まれながらにして
ワタシタチは自我を持って
生まれてきているんだな〜と
運転手さんとお話ししている中で
改めて気づかされました

その運転手さんは
短い乗車時間の中で
他にもたくさんのエピソードを
話してくださったのですが

普段タクシーは利用しないのに
たまたま乗車した時に
たまたまそのような経験を
されてきた方の車に乗らせてもらい
たまたまそんな話を聞かせてもらう…

それはたまたまじゃなくて
その話を聞くために
タクシーを利用したのだろうな
と、感じたりして…

履き慣れない靴を履いて
足の裏に豆ができて
もう歩けない!
っていう状態になったのも
タクシーに乗るための
布石だったと 🙂
しみじみ思うわけです

足の裏の豆も、
怪我も、病気も、
とてもポジティブには
とらえられない!
というような事柄も、
すべて繋がっていて
必要な気づきの
必要なメッセージのための
演出だったりします


ワタシタチは
赤ちゃんの時から自我があって、
自我のなだめかた
というのは
「どうしたの、お腹空いたの?
オシメが濡れたの?」と
赤ちゃんをあやす(愛で接する)
ところにすでに原型ができていて、
みんな忘れているかもしれないけど
最初に型を教わって
大きくなっているんだなぁ〜と
改めて確認、感心した次第です
selfcareSupport 長塚

体調変化がおきたトキ

立春を過ぎ
立夏までは春三月です

萌芽のエネルギーが
滞りなく循環しだすまで
香りものなどの
旬のお野菜を
取り入れるなどして
気の巡りを
養生すると良いと思います

うまくできたもので
旬のものというのは
ワタシタチの身体を
助けてくれるようになっています
できれば地物を
もとめるようにして
季節の変わり目を
うまくお過ごしください

心持ちでいえば
ウキウキソワソワが
イライラにならないよう
自分で気をつけておきます

さて
カウンセリングをすると
湿疹をだす方が時折おられます
というおはなし
前回したのですが

それが漢方を服用している最中に
おきてくると、受け止め方が
難しくなってしまいます

何かのせいにできると
そのせいにしたくなる
からです

そのおきている事象を
自分にとってどのような反応なのか
捉えられなくなってしまうのです

(もちろんアレルギー反応の
場合もあって、その時は服用中止です)

ですので
漢方はとても頼もしい存在で
ワタシもつい頼りたくなるのですが
依存しないように気をつけています

そういうわけで
漢方が欲しいと言われても
「必要ないですよ〜」
とお答えするトキが間間ありますが
お許しください

 

体調変化がおきたトキは

「この局面で
こういう症状が起きて
こういう不都合が生じた
じゃあ、これを
好都合と捉えるなら?」

と、
病いを敵と捉えるのでは無く
別の角度から感じてみて
味方に取り込んでしまう
そんな冷静さが必要なのかと
思います
selfcareSupport 長塚

湿疹

カウンセリングをすると
湿疹をだす方が時折おられます

出したいものを
代わりに出してくれているのだなと、
ワタシは身体の健気さに感動するのですが..

ご本人はそれどころではありません
大慌て、大騒ぎです

だしはじめたものに
慌てて蓋をしてみたり、
ココロとカラダの連関に
ご自分で気づいていただくことは
なかなか難しいようです

疹が出てきていることを不快に思って
薬などで抑えてしまおうとする場合が
一般的には多いのかと思いますが
ご自身を開放すれば、湿疹はおさまりますので
なすべきは、軟膏を塗ることではなくて
開放することです
(外的要因ならば、解毒することです)

また、
湿疹が出たからと、漢方を
もとめられる場合ですけれども

病位にもよるのですが
急性期の湿疹に対する漢方は
基本的に”出しきる”のが目標となります

これは外因の場合も、
内因の場合も同様です

そこで、
“出しきる”のが目標なわけですから
漢方を服用することで
発疹が悪化したようになる場合が
あるわけなんですけれど
出しきることで回復が早くなるので
過剰にご心配されないと良いかと思います

むしろ、出しきらないほうが
固結したエネルギーとなって
のちのち出しづらくなってしまいます

ご自分のカラダを信じてあげてください
selfcareSupport 長塚

健康保険

前回の続きで
教育のはなしから
医療のはなしへ…

不登校になる子供が増えています
クラスに一人いるのは
当たり前なくらい
増えています

今の教育制度に
子供の身体が素直に反応している
自然な現象なんだろうな
とワタシは思います

医療制度に反応して
病院にいかなくなる人が増えたら
もっと日本人
健康になるんだろうな
とワタシは思っているのですが〜 😀

でも、病院に行かなくなるひとは
なかなか増えてきません

病院へ好んで足を運ぶひとの特徴として
「(健康)保険料を払っているのだから
保険を使って元を取らなければ」
という考えがはたらいて
医療機関へ出向いている
そんな傾向があるように
感じています

健康保険って
なんのためのものか
改めて確認する必要が
あるのではないかと思います

本当に医療を必要としているひとを
支えるための仕組みであって
保険料を払うことで
自動的に社会貢献できる
本来は…素晴らしい仕組みだと思います

保険者(市区町村)によっては
保険税とする場合もありますので
保険料は税金と同じことです

「税金を払うのは、損をした気分になる」
と思う方もいるかもしれませんが
税金を払うのが嫌だと感じている場合
自分の”益”を何として生きているのかが
明確になるのではないかと思います

税金を納めることで
自動的に社会づくりに貢献参加できる
という素晴らしい仕組みなんです
なんだかありがたい仕組みです

保険料や税金を納めること自体は
損する行為ではありません
同じ支払いをするのなら
意識を変えると
自分のためにもなります
selfcareSupport 長塚

教育の話でもしているようですが

前回
だいたいにおいて
不安にかられて起こす行動
というのは
ネガティブの連鎖なので
いい行動ではありません

と、書きましたが
不安などの問題を想定させて
それを解決しますよ
というのは
ビジネスの売り文句だったりも
するので厄介です

医療もビジネスです
病院によってカラーがあります
先生によって信念が異なります

ビジネスを成り立たせようと
そちらに意識が向くと
不安を煽るのに
一生懸命になったりするのです


日本は
検査と投薬の量が
世界のトップクラスです

検査というのは
数値の使い方を誤ると
自分のチカラをみくびったり
自分を何かと比較して評価する
そんな癖をつけてしまいます

なんだか
教育制度の話でも
しているようですが…

「お前はこんな点数とって
ダメなやつだ!」と育てれば
まっすぐポジティブに育つのは
難しくなります

点数を追い求めたって
それが本当に素晴らしいことなのか
というのは、教育の話だけでなく
身体だって同じことです

平均値に収まっていれば
それで健康なわけでなく
誰かと比べて優れているとか
劣っているとか決められないのが
本当のところの健康です

数値ばかりにこだわり
全体を見失って診療しがちな
西洋医学主体の日本医療の特性を
受診する側は知っておかなければ
自分の健康って?
と、自分を見失いかねません

やっぱり
自分自身でいること
自分を持つこと
それが大切です
selfcareSupport 長塚

アドヒアランス

子供の病気というのは
進行がはやいし
何かと不安がつきものです

合併症・後遺症なんてことを示唆されて
予防的に働く医療だと言われれば
素直にその加療を受けたくなるのが
親の心情だと思います

子供が1歳になったばかりの頃
発症機序が未だに不明な
川崎病に罹患したことがありました

川崎病は血管に炎症が起きる病気なので
心疾患を後遺症として残さないように
血液製剤を予防的に投与するのが
一般的です

その加療を受けるかどうかについて
その時は非常に悩みました
薬のリスクは必ず伴います

非加熱血液製剤の薬害は
社会問題にもなりましたし、
ウィルスは既知のものしか無いなどとは
思っていなかったのもあります
製造過程で全ての害あるものを
除去できる保証なんてありません
そもそも血液製剤を体内に入れることに
抵抗がありました

そんな投薬による未知のリスクに、
起きるかわからない後遺症を
回避できるかもしれないという
不安解消ともいえるメリットが
見合うものなのか
天秤にかけるわけです

そして選択し
責任を負う覚悟をします

そんな過程が
前回もお話しした
アドヒアランスかな
と思います

自分のことではなく
子供のこととなると
不安はさらに大きくなることでしょう

ですが、
だいたいにおいて
不安にかられて起こす行動
というのは
ネガティブの連鎖なので
いい行動ではありません

治療を受ける際の
指標にするといいかと思います

どちらかを選択して
望ましい結果が
得られようと
得られまいと
それを受け入れる覚悟は
必要です

それは字の通り
悟りなわけですが

望ましくない結果が得られた時に
それを何かの(誰かの)せいにして
みたり
望ましい結果が得られとしても
それを当たり前と思って
みたり

現代の風潮としては
なにかと訴訟に持ち込む
傾向がありますので
双方の責任回避の姿勢が
結果、今の医療財政の破綻にも
つながっています

厳しいようですが
治療を受けるというのは
自分の負うべき責任を
医療機関に委任する
ということではありません

大きな病気でも
小さな病気でも
それは同じです
selfcareSupport 長塚

自分自身でいること

少し前の医療は
患者サイドに有無を言わせず
治療を押し進める風潮が
少なからずあったと思います

薬剤師は
いかに医師の処方通りに
薬を服薬してもらうか
(コンプライアンス)
を重視した業務を
行ってきていました

でも、今は
アドヒアランス
重視した業務に
移行しています

アドヒアランスというのは
まず病気を治すんだという信念
ファーストオピニオン
を自分自身が持った上で
医療機関と協働で治癒に向かう
治療を受けていくこと

主体は本人にあります

なぜかといえば
押し付けのコンプライアンスを
守ってもらったところで
病気は治らなかったからです

「病気になっちゃったー
よくわからないから
先生、治してー」
っていう、医療機関丸投げ状態では
治りません

医療機関は
痛かったり、痒かったり、
しんどい状況を回避しながら
自然治癒力を引き出す間を
もたせてくれるところ
そのぐらいに考えておくと
良いのではないかと思います

ですから
病院に行って良くなったと思っていても
本当の治癒の部分は
自力で治しているのです

医療財政が破綻しつつあるのも
何でもかんでも
医療機関に丸投げして
よくわからない薬飲んで
治癒の過程が
そういうもんだと誤認している方が
多すぎるせいでもあります

このように誤認させるよう
暗黙にしつけられてきたのは
確かですが
そんなことどうだっていいのです
よおく考えてみてください

そもそも
身体は良くなろうとしてくれています
貴方の人生自体がステップアップするよう
わかりやすく手伝ってくれています

病気になったことで
何を感じるのか
よおく耳を澄ましてください

良くなろうとしている
自分自身のチカラを
信頼して信じることです
自分自身を
持つことです
selfcareSupport 長塚

漢方で気持ちが変わる?

漢方相談に来られた方に
「心境の変化を気にしていてください」
という時があります

すると
「ええっ 気持ちが変わるんですか?」
と、驚かれる方がいらっしゃいます

「ええっ びっくりするとこだった?」
と、ワタシが驚いたりするわけですが…

病気になると
体の変化ばかりを追って
心の変化は見過ごしがちです

体と心がリンクしていることを
今はほとんどの方が
認めていると思いますが
なぜか
心へのアプローチを
なおざりにしている場合が
多いようです

例えば
ストレスで病気になった
と認識していても
病気を薬で治そうとして
ストレスを解消しようとしない方が
おられます

仮に薬で症状を落ち着かせたとしても
それは
新薬を使おうが、漢方を使おうが、
対症療法に過ぎません

「ストレスと感じている大元を
昇華させなさい」
と、病が現れているのですから
原因を無くす努力は
しなければなりません

体が楽になって
物事をポジティブに
捉えられるようになったのなら

そのポジティブな心境に
気づいて、保持していくことが
大切なんだなと
心に刻むことです

ストレスをストレスと感じ
ストレスを生み出しているのは
実は自我の部分であること、
本当の自分でないことを、
病が教えてくれているというわけです

selfcareSupport 長塚