神倉神社

去年
「パワースポットって何?」
「ボルテックスって何?」
という状態で行ってきたセドナ

IMG_0113

行くと、

砂鉄が磁力で
引っ張られた時のように
立っている木や

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ぐるぐるねじれて
立っている木があったことが
印象的だったのですが

先日、
熊野三山を巡ってきた時に、
熊野速玉大社、神倉神社で
同じく
グルグルねじれて立っている木を
いくつか見ました

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「ここもボルテックスなんだな〜」と
気を感じる、だけでなく
木で感じた次第です


 

神倉神社にワタシが行った時は
社務所は閉まっていて
その軒先に3人のおじいさん方が
座っておられました

ワタシに手を振りながら、
「これから上まで行ってくるのかい?」
「えらいねえ」
なんて、声をかけてくださって
「杖があそこにあるから
持って行ったほうがいいよ」
と、教えてくれました

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鳥居をくぐって拝殿に向かうと
かなり勾配のある石段

ジブリの『ハウルの動く城』で
王宮の階段を上っている時の
荒地の魔女の気持ちがよくわかる!
そんなしんどさでした

「杖がなきゃ、辛かったな〜」
「あのおじいさん達、
ひそかに神様だったんじゃなかろうか」
などと思いながらお参りを済ませ

無事下山すると
3人のおじいさん達は
居なくなっていましたが、
今度は「下馬」標石のあたりに
違うおじいさんが座っていて
「偉いね、お参りしてきたの」
と、ねぎらってくれました

なんとも参拝応援の手厚い神社!
すでにご利益を賜っているようなものです!
目に見えないご加護もありがたいですが、
こういうのも好き!

素敵な写真いっぱいの
神倉神社のリンク

サンセットに時間を合わせて
参拝しようかとも
思っていたのですが、
そんな時間の参拝に
ならなくてホントよかった、、
と思う石段でした
selfcareSupport 長塚

 

パワースポット

こんにちは
selfcareSupport 長塚です

札幌は寒くなってきました
すでにストーブを使う日もあります

先日、まだ暑い日もあるくらいの
和歌山県
熊野三山へ行ってきたのですが
その時に、
セドナで体験したことと
同様の経験をしたので
そのお話をしたいと思います

去年のセドナ滞在は
「パワースポットって何?」
「スピリチュアルって何?」
というくらいの状態で
行ってきたのですが

その、
パワースポットといわれるセドナで
ワタシは
よくわからない場面の
よくわからないタイミングで
ひたすら号泣する
ということを
繰り返し経験してきました

そして先日の
熊野三山でも
同様の経験をしました

どうやら
天とエネルギーが
がっつりつながった時に
未熟なワタシは
浄化のシャワーにより
涙が溢れるのだと思います

体験談つづきはブログで
http://www.selfcare-s.com/玉置神社/

浄化の不思議な涙は対象を
洗い流してくれます

神道のことばで言ってみるなら
「異心を祓っていただく」
「ご加護を賜る」
といった感じでしょうか

魂の飛び級をしたような
そんな感覚です

 

パワースポットで受け取るパワーは
そのようなパワーでありたいものです

以前は間違って
欲を顕示して願い事をする
というかたちをとっていた
ワタシでしたが、
たまわるご加護が
その意識に相応のものとなるのは
摂理でもあるところだったと
つくづく感じるところです

神ながらの道を
感覚的にわかっている
ワタシタチでありますが、
一度、神道とはどういう道を言っているのかを
言葉で知ることも非常に有用だと思います

そんな意味においても
日本人のワタシタチは
古事記を「こころ」で読んでみることを
おすすめします
http://amzn.to/2dTdhHX

“いのち”のはなしが
健康と無縁であるわけがありません
そんな観点から
東洋医学の話を交えて
古事記の勉強会を開催しています
http://www.selfcare-s.com/wp/wp-content/uploads/2016/04/a32744af67e66cbef2edf05bfbc4a6d1.pdf
ご都合の合う時に、
ご参加いただければと思います

それでは
良い1週間をお過ごしください♪

 

玉置神社

去年
「パワースポットって何?」
「スピリチュアルって何?」
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という状態で
セドナというところに
行ってきたのですが

そのセドナでワタシは
よくわからない場面の
よくわからないタイミングで
ひたすら号泣する
ということを
繰り返し経験してきました

そして先日、
熊野三山へ行ってきたのですが
その時にも
同様の経験をしました

どうやら
天とエネルギーが
がっつりつながった時に
未熟なワタシは
浄化のシャワーにより
涙が溢れるのだと思います


 

それは
熊野三山の奥の宮玉置神社で
ご祈祷いただいている
最中だったのですが
溢れる涙がやってきました

ダーっと
突然やってきたので、
嗚咽をもらさないようにするのが
大変なくらいでした
(隣に座っていた参拝者にしてみれば
不可解きわまりなかったと思います)

しかし
人前で突然
涙が流れようと
鼻水が垂れようと
感情の入らない不思議な涙
ワタシにとって
ありがたいものです

というのは、

くやしいとか、悲しいとか、
感情をともなう涙は
自我と格闘している時の涙ですが

どう格闘しても打ち消せない自我でも、
打ち消すべき自我が見えていない時でも、

不思議な涙は対象を
洗い流してくれるからです

神道のことばで言ってみるなら
「自分で祓わないといけない
異心を祓っていただく」
「ご加護を賜る」
といった感じです

飛び級したような
そんな感覚です


さて
玉置山には、尖った石が
ボロボロとたくさん落ちていて
「石を車で踏まない様にね」
「よくパンクする人がいますから」
と、神社で教えてもらいました

その尖った石は
触ってみるとビリビリと
エネルギーを出していました

セドナで、裸足になると
静電気が伝わるかのように
地面からビリビリと
エネルギーを受けたのですが
それと似たような感じです

参道にある
天然記念物「玉置山の枕状溶岩堆積地」
という案内書きには
山頂付近にみられる溶岩は、
海底火山の噴火により
噴出したものだと書いてあります

ちょうどセドナで
ネイティブインディアンの
ガイドさんから
「ここから下は昔、海で、、」
「火山の噴火で
一瞬で人が滅亡したんだ、、」
と、教わったのを思い出しました

熊野は木に覆われて
地層が見えませんでしたが、
見えていたら
ここから下が海だった
というラインが
見えるのかもしれません

玉置山は高天原にちかい
イメージでした
selfcareSupport 長塚

 

玉置山を下山する時、
またしても
なんの脈絡もなく
溢れ出す涙

そして突然iTunesから
GReeeeNの「あいうえおんがく」が
流れ出す摩訶不思議・・
(どこからその曲でてきたの?)

♪あれ好きでこれ嫌い決めたのは
自分自身だから
それも打ち壊していけるだろう♪

真人・至人・聖人・賢人(4)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
今回は「賢人」

其次有賢人者。

法則天地、
象似日月、
弁列星辰、
逆従陰陽、

分別四時、
将従上古、
合同於道。
亦可使益寿而有極時。

その次に
賢人と言われる人がいた

天地の法に則り
現象を月日から読み

占星して
陰陽にむかい従い
四季を分別することは
まさに上古に従って
同じく道をたどったが
寿命は延ばすことができたものの
限界があった


真人
至人、そして聖人
の記述と大きく異なる点は
こころのあり方に
触れていない点です

また、
自然の法にのっとる
宇宙の法にのっとる
というスタンスは
和する
のとは、違うのだと
あらためて考えさせられます
selfcareSupport 長塚

真人・至人・聖人・賢人(3)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
今回は「聖人」

其次有聖人者。

処天地之和、
従八風之理、
適嗜欲於世俗之間、
恚嗔之心無、
行不欲離於世。

その次に
聖人と言われる人がいた

天地の気に調和して
自然の摂理に従い
世俗の嗜欲習慣に適応しながらも
怒る、憎む、怨む心を持たず
俗世を離れたいとは思わずに
行動した

被服章、
挙不欲観於俗。
外不労形於事、
内無思想之患。

着るものにしても、挙動にしても
世俗に合わせくらべることなく
事にあたっては
肉体を疲労させすぎるような事なく
心を悩ませるような事もなかった

以恬愉為務、
以自得為功、
形体不敝、
精神不散。
亦可以百数。

しずかに楽しみ務めを為し
自ら国を安定させはたらきを為す
そのため
肉体は敝れず
精は散じず
百歳を超えて生きることができた

 

聖人の教え1
と同様のことが
繰りかえし書かれています

真人
至人
俗世を離れていたのに対して
聖人は世俗にとどまっている
ことから

世俗に生きるワタシタチが
真の健康としての延命を望むなら
聖人を目指せ〜
といったところでしょう

けれども、本来目指すべきは
無恚嗔之心→結果として長寿
ということです
長生きしたいというのも
欲のうちになります

違う言い方をしてみれば、
長生きしたい
というのは
長生きしていない
という意識状態です

自らの意識が
全てを映し出します

次は「賢人」です
selfcareSupport 長塚

真人・至人・聖人・賢人(2)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
今回は「至人」

中古之時、
有至人者。

淳徳全道、
和於陰陽、
調於四時、
去世離俗、
積精全神

游行天地之間、
視聴八達之外。

中古には
至人と言われる人がいた

全ての道にあつい徳があり
陰陽になじみ
四季に調和し
俗世を離れ
全神に精を積み

天地の間を楽しみおよぎ
見るもの聞くもの八方に通じていた

此蓋益其寿命而強者也。
亦帰於真人。

これだから
その寿命は益して延びていった

真人と同じく
死ぬことはなかったのである

真人、至人の域となると
その違いを理解することが難しいが
名称も違えて書き分けているので
大きく異なるところなのでしょう
次は「聖人」です
selfcareSupport 長塚

真人・至人・聖人・賢人

まだまだ
黄帝内経 素問 上古天真論篇
シリーズです
(1)(2)(3)(4)はこちら

上古有真人者。
提挈天地、
把握陰陽、
呼吸精気、
独立守神、
肌肉若一。

上古には真人と言われる人がいた
天地をひっさげて
陰陽のバランスを把握し
精気を肉体に通し
ただただ神をまもり
物心一如のようであった

故能寿敝天地、
無有終時。
此其道生。

それだから
寿命は天地を敝ることができ

死ぬことはなかった
此が道を生きるということである

次は「至人」です
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇(4)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)
黄帝内経 素問 上古天真論篇(3)
に続いて、

女子は7歳、14歳、21歳、、と
7の倍数で肉体が変化していくことが
書かれており

男子は8歳、16歳、24歳、、と
8の倍数で肉体が変化していくことが
書かれているが
さらに、

此其天寿過度、
気脈常通、
而腎気有余也。
此雖有子、
男不過尽八八、
女不過尽七七、
而天地之精気皆竭矣。

天命が十分で
気脈も通り
先天の精が余りあって
子をつくれるといっても
男子は88を過ぎず
女子は77を過ぎないで
子を産めなくなるのは
天地の精気の運行がつきるからだ

夫道者、
能却老而全形、
身年雖寿、
能生子也。

道に生きる人は
肉体は老いることなく
高齢になっても
子を産むことができます

とあり、びっくりします

道に生きるということは
天地の精気が満ち溢れる
というわけです
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇(3)

黄帝内経 素問 上古天真論篇
黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)
さらに続きます

是以志閑而小欲、
心安而不懼。

このため人々は
あることを意図しこころを向けるにも
ゆったりと落ち着いており
欲望は少なく
こころは安らかで
おそれることはありませんでした

形労而不倦、
気従以順。

肉体を働かせても
倦みあきて嫌になることは無く
正気は治まり
正しい方向に流れました

各従其欲、
皆願所願。

それぞれの欲は少なく
望むところは皆満たされ

故美其食、

食べたものを美味しく思い

任其服、

得られた服を心地よく思い

楽其俗、

その境遇に満足して楽しく暮らし

高下不相慕。

地位の高低を羨むこと無く

其民故日朴。

人々はいたって素朴で誠実でした

是以嗜欲不能労其目。
淫邪不能惑其心。

正しくない嗜好も
彼らの耳目をゆりうごかさず
淫な邪説も
彼らの心情を
惑わすことはなかったのです

愚智賢不肖不懼於物。

愚かな者も、知恵のある者も、
賢い者も、未熟な者も、
何事に対してもおそれることは
ありませんでした

故合於道。
所以能年皆度百歳、
而動作不衰者、
以其徳全不危也。

上古の人々が
修養の道に合致していたことが
お分かりでしょう
ですから皆、百歳を超え
しかも
動作に衰えることはなかったのです
その修養のあり方を心得、
全うすることで、
肉体もそれに従って
病の危害を招かずにすむのです

つくづく、これがシンプルかつ重要な
“健康法”なのだと思う
selfcareSupport 長塚

黄帝内経 素問 上古天真論篇(2)

前回の続き
以下は、修養のあり方が
書かれた節

夫上古聖人之教下也、

上古の修養の道理を深く理解した人は
人々を教え導くのに
常にこのように述べました

皆謂之虚邪賊風、
避之有時。

外界の虚邪賊風に注意して、回避すべき時に回避する

恬憺虚無、

こころ静かに安らかにし
貪り求めたり、邪な考えを持たず
物の得失でこころを煩わせること無ければ

真気従之、

真気はおのずと調和し

精神内守、

精神もまた内を守って
すりへり散じることはない

病安従来。

そうすれば
病を起こす邪気が侵入することが
あろうか

非常に純粋でシンプルな法則です
selfcareSupport 長塚