帯状疱疹

自分を騙して
本当の自分を
覆い隠し続けると

体が代わりに
アピールしてくることが
あります

(気づいてー)


先日、
母と連絡を取ると
少し前から調子が悪いとのこと

聴くと
どうやら
帯状疱疹の様子なので
(本人は汗疹ができたと思ってる)
煎じ薬を飲んでもらうことにしました

母は「家庭の医学」を読んでは
自分はこの病気じゃないかと言い出し
ネガティブな引き寄せを
大得意とする癖があります

今回も
あーでもないこーでもない
と、自己診断をひとりやっていました

届いた煎じ薬を
飲み始めると
痛みは落ち着き
湿疹は黒くなったので
「帯状疱疹だったのかも」
と後日いっていましたが

当初
片目の視力が落ちてきた
といっていたので
悪化するかな
との懸念もありました

そんな心配はよそに
(子のこころ親知らず)
症状が良くなったら
連絡もくれずに
元気にしているようなので
何よりと思っているところです
IMG_2013

しかしながら
体に溢れ出した
自己アピールは
しっかり受け止めなければ
漢方でおさまったとして
再発、もしくは違うカタチでの
再アピールは必死です

 

最近
帯状疱疹で来られる方が
多くなったと思います

発疹も
自己表現のひとつと
ワタシはとらえています

免疫力がおちて
日和見感染して
湿疹が出てきたとして

その免疫バランスを
欠いたのは
なぜなのか

を、拾わないと
漢方で良くなっても
それだけでは
もったいないと思います

「漢方を売りたい」
というのであれば
漢方に対する信頼を得て
治ったらおしまい
でいいのかも
しれないのですが

ワタシはその疹が
何を訴えているのかを
聴きとっていただきたいと
こころから思っています

しかし
聴きとろうと
していない方や、
聴きとることを
拒否している方には、

今の私に
「漢方相談」の中では
その訴えを
お伝えし切ることが
できません

申し訳ないことです
selfcareSupport 長塚

 

「オレオレ詐欺」

「もしもし?」
「オレオレ」

「これしたいんだけど
お金ないからなあ
無理なんだよなあ」

「あいつの方が上手いから
オレ、無理だし」

「自分、能力ないし」
「たぶん痛い目見るからやめとく」


「もしもし?」
「わたしわたし」

「なんか良くない噂があってね
こう思ってたんだけど
なんか違う気してきたのよね」

「だってさ
みんなそうだっていうし
そうやってるし
わたしも絶対そう思う」

「あー、でも
やっておけばよかったかな
ま、いいや」

「わたしの性格じゃ
できないしね」
「こんな程度なんだよね
わたしって」


さも自分のように
振舞って
本当の自分の前に出てきて
覆い隠しているのは

自分だと思っている
自我の部分

「オレオレ詐欺」
詐欺だって
わかりそうでわからない
らしい
selfcareSupport 長塚

どんぐりの根っこ

先日行った
北海道神宮境内林ツアーで

どんぐりを
拾ってみていたら
根っこが伸びているものが
いくつもありました

なるほど
春に芽吹くためには
秋に収穫した種をまいて
冬の間根付かせておく必要が
あるのですね

収蔵の冬というと
手も足も縮こまらせて
活動を停止しているかのように
感じがちですが
全然違うのです

表立った活動が見られないので
見た目の華やかさは
ありませんが
次の収穫を見越した活動が
密かに活発になされるのが
冬です

しっかりと
自分の中で
本当の自分と一緒に
作戦会議を繰り広げ
醸造しましょう
selfcareSupport 長塚

内から直視する

精神世界と
現世が
融合して感じられないと

高次元に想いを馳せ
今に目を背ける
態度をとりたくなる
こともあるでしょうが

それは
上階に行くのに
階段を1歩も登らない
のと同じ様な
ものだと思います

身体の浄化や
メディテーションばかりを
一生懸命にやったり
マントラを心なく
唱えてみたとて

現実の生活を営む際に
我慢や、やり過ごしの態度で
臨んでいたのでは

それまた
一時しのぎなのです

申し訳ないですが
今に目を向けて
ひたすらに
内から直視すること
身につけていただければと
思います

最初は辛いかもしれません
けれど、辛いのは
慣れない最初だけで

肉体をバージョンアップさせるのに
筋トレを始めたら
強烈な筋肉痛を味わってしまった

くらいなものです

慣れれば
筋肉痛のないトレーニングでは
「効いていないのではないか?」
くらいに感じてくるでしょう

内から直視する
視座が身につけば
自分をどの様に持っていくかは
自分次第ということが
明からさまになります

どうか
地球に降り立っている
今にフォーカスして
しっかりと
グラウディングして
いただければと思います

自分をどこかに
運んで行ってくれるのは
箱舟ではありません

どの舟に乗るかを選ぶ
自分です
selfcareSupport 長塚

そもそも薬師は僧侶が行っていた

あらゆる病が
ストレスを起因として
発症していると
ようやく
納得され始めています

しかし病の対処は
まだストレスの対処にまで
至っていません

なぜでしょうか

それは
ストレスは
生活をしていくのに
どうにも対処
しようが無いものと
思い込み
我慢するように
なっているから
かもしれません

実は
ストレスというのは
自分の中で
生み出しているものです

職場が悪い
環境が悪い
運が悪い
何かのせいにしたいかも
しれませんが

それでも
ストレスは
自分で生み出しています

職場も環境も
摂理の運行に逆行するのも
全部自分の意識で
一つ一つ選択していることです

たとえ
どんな職場や環境の中にあっても
意識を変容させていくことで
ストレスと感じないようになりますし
(ストレスを生み出さなくなりますし)

意識を変容させた上で
その場が自分にそぐわない場所ですと
自然と気持ち良く
自分の活躍できるステージが
用意され、そこにシフトすることが
できます


病はそういった意識の働きが
カタチとなって現れてきていることを
知っていたので
薬師は意識の取り扱いを
知っている僧侶が行っていました

ですから
病が現れる前に
意識のケアが
(スピリチュアルケアが)
当然のように行われていた
わけです

もっと言えば
仏教や東洋医学が
日本に入ってくる以前の
上古の時
すなわち
縄文時代以前は
薬師もいらなかったものと
思われます

古典には
「漢方を用意するものの
使わなかった」
と書いています

しかし今は
分離分業が細分化され
それを統括できる
情報を握っているものが
すべてを掌握できる体制が
整えられています

もし
その体制に惑わされず
自分で自分の生を
生きていきたいと
それを選ぶのなら

今、ちょっとだけ
大切な何が欠けているのか
想いを致し、
欠けている何かを足すだけで、
変化が数珠繋ぎに起こることを

ワタシタチは体験して
大切なことを思い出さないと
いけないと思います
selfcareSupport 長塚

便利なものは

便利なものは
ありがたいものだけれど

自分の出せない力を
補ってくれたり
助けてくれたことに
感謝を忘れた瞬間に
自分はもっと力を
失うのかもしれません

車を使えば
寒くないし
体は疲れないし
早く移動できるし
楽だけれど
安易に使っていれば
体は寒さから身を守ることを
忘れてしまうし
筋肉は衰えてしまうし
歩いた時に得られる
空気からのメッセージは
受け取ることができません

薬を安易に使って
体が簡単に回復すると
体は自分で治癒することを
覚えないかったり
怠けることを覚えます
体が治してくれていることを忘れ
薬がどうにかしてくれると思い
自分がなすべき養生が
わからなくなってしまいます

法や制度に守られているのが
当たり前の生活では
自分で何を守りたいのか
何を守ってもらっているのか
わからなくなり
気づいたら
どのように自分を守ればいいのか
何を守れば自分を守ることなのか
自分を見失っているでしょう

自分が本当に必要としている
利便性なのか
サービスなのかを
確かめるために

「一般的に」とか
「普通はこれくらい」とか
「常識的に」といった
観念を抜きにして
考えてみることが
満たされた今を感じるのに
いい方法です

お金を払っているのだから
当たり前だなんて
絶対に思わないことです

便利なもの
快適なものは
魅力的だけれども
手に入れた時
代償として
自分の力を失わないように
気をつけるといいと思います

自分の力を失うということは
自然と湧き出てくる感謝の
こころを失うことです
selfcareSupport 長塚

四気調神大論篇〜冬三月〜

黄帝内経 素問 四気調神大論篇
冬の養生のしかた

冬三月、此謂閉蔵。
冬の三箇月は閉蔵という
万物が潜伏収蔵する
季節である

水冰地坼。
無擾乎陽。
水は冰(こお)り
地は坼(た)く
陽気を乱れ騒がせては
ならない

早臥晩起、必待日光、
早寝、遅起きし
必ず日の出を待つようにする

使志若伏若匿、
若有私意、若已有得。

伏せるように隠れるように
こころをしまい納め
内緒ごとのように内に秘め
すでに全てを掌握したように
こころを豊かに保ち含める

去寒就温、
無泄皮膚、使気亟奪。
寒さは避け温かくし
皮膚から気をしばしば
漏泄させないようにする

此冬気之応、養蔵之道也。
此が冬の気に順応させる
冬の養生の道である

逆之則傷腎、春為痿厥、
奉生者少。
この自然の法則に則っとらないと
腎気を損傷し
春には厥逆をおこし
春の生気を受けることが
できなくなる

 

立冬〜立春までが冬三月です

秋には大収穫いたしましたか?
その豊穣を熟成させる季節が
冬です

熟成発酵させる時に
しっかり内を温め
途中で蓋を開けたりしないように
しっかり閉蔵して衛ります

冬の養生しっかりして
いい土を作らないと
春にいい芽を
出すことができません

秋の収穫を受けて
次の秋の収穫に向け
ある意味
新年が始まっているわけです
心身の活動すべてが
そのように動いています

秋の収穫を最大限に生かして
土づくりをする
大切な大切な季節です
腎気を養ってください
selfcareSupport 長塚

気持ちの良い処方箋

最近、気持ちの良い処方箋が
増えてきているのを感じ
嬉しくなることがあります

ワタシが
気持ち良い
と感じるのは

患者さんを
良くしようと
意図を感じる
処方箋です

医師の姿が
目の前に現れてきます

処方箋に
いのちが宿っている
のを感じて
嬉しくなります

一方で
改善の余地はないと
決め付けているのか
良くしようという意図が
全く感じられ無い
死んでいる処方箋があります

そういう処方箋では
たとえ漢方が処方されていても
漢方は職能を果たせません

そもそも
良い変化の兆しが
あったとしても
医師も
罹患者本人も
それをすくい上げて
良い方向に持って行こう
なんて思ってい無いのですから

現状維持が
前提になっている限り
悪くなったのは気付けても
良くなったことには気付けず
薬を飲み続けるしか無いのです


一時しのぎの役目しか
持たない合成薬は
使うと
体に混乱を招いたり
勘違いをさせて
自己治癒力を
結果的に低下させるところがあり
ワタシ自身は
好きではなく
使いませんが

とはいえ
その一時しのぎの薬を
工夫して処方されている
先生にはエールを
送りたいですし、
西洋薬の縛りの中でも
もっといい医療に
なってきそうな
兆しを感じます

日本の医学部の
基本的なカリキュラムでは
そういった西洋薬で
治療することしか
学ばないので
日本のお医者様は
苦労されていると思います

他国のカリキュラムのように
もっと充実した内容になれば
いいのになと思いますが
現状はしばらく
無い時間の中で
自発的に新規のものを
習得するしか無い状況のようです

先生方の頑張りを
信じたいとおもいます
selfcareSupport 長塚

思い出してきたぞ〜

https://news.yahoo.co.jp/feature/760
腎臓が人間の健康を大きく左右する――医療の現場ではそれが新たな常識になりつつある。その役割は、尿をつくるだけにあらず。腎臓こそが臓器同士をつなぐ“人体の要”であり、わたしたちの寿命に直結していることがわかってきたという。

わかってきた
というより

「肝腎要」は
周知でした

五臓
肝腎だけではありませんが..

忘れ去ることで
西洋医療を
信仰することが
できた
といっても
いいのだと思います

「一曰治神」も
同じく
忘れ去ることで
西洋医療に
傾倒できたのでしょう

思い出すべきことが
わかってきたと
言っているだけで
ちょっとも
新しいことはありません

腎は要の臓器だから
急性腎障害に
陥らないように
しないといけないとあり
こう書かれていますが、、、
「急性腎障害の警告が出た場合の対策は、非常にシンプルです」
「まず、患者が脱水状態にならないよう、水分補給や点滴をします。腎臓は脱水状態になるとダメージを受けやすいからです。もう一つが、薬をやめること。腎臓に害を与える薬を、一時的にやめてもらい、まずは腎臓を回復させるのです。こうした対策をすることで、病院では患者の死亡率を減らすことに成功しました」

病気にならないように
薬を飲まないといけない
と思っている人には

病気にならないように
薬を飲まないように
しないといけない
と伝えないと
伝わらないもの
なのかもしれません

薬が無いと
健康を維持できないと
思っているのは
幻想です
selfcareSupport 長塚

ラクダのケア


音楽家の方が
FBシェアの際の投稿で
知人の体験談も
共有されていたので
そちらも引用です
 
「この映像を見せたら、○さんは実際に見たことがあると仰っていました。母ラクダが子ラクダにお乳をあげるまで、とにかく24時間でもずっと歌を歌い、馬頭琴を演奏するんだそうです。そしてやっとお乳をあげた、となったらようやく歌を終え、皆ぐったりなんだそうです。とにかく遊牧民たちは人間と動物が一体なのだそうです。」「かつて、文化大革命で内モンゴルに下放された○さんの生の体験です。」


この記事を読んで
どのように
感じましたでしょうか?

音楽に携わり
癒しを提供されている方は
音楽の素晴らしさ(癒しの力)を
再確認されるかもしれません

ワタシの場合は
子育てを拒否している
お母さんがいた時、
そのお母さんを
全力で癒し、語りかけることを
癒されるまで続けること
大切なことだな
と、自分の中に響きました

不思議なことに
同じ話を聞いたり
読んだりしても
何がどう響いて
どのように感じるかは
個々それぞれのもので
その人の心境が
反映されたものです


しかしながら
学校の国語の勉強では
長文読解をする時、
作者がどんな意図で
書いた文章かを、
「こういう風に捉えてほしい」
という出題者の意図に
気持ちを合わせて
解答していかなければ
なりませんでした

長文読解の問題では
その両者に気持ちを合わせる
訓練をしていたとも
いえるわけですが

その訓練の前に
自分がどのように感じて
どんなメッセージを受け取るのかを
大切にした上で

他者がどのような
受け止め方をするのかを
学ぶこともまた
大切なのだと、
理解することが
必要なのだと思います
selfcareSupport 長塚